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吉見町で『鎌倉殿の13人』

 先日は埼玉県比企郡吉見町に行ってきました。 まずは息障院です。 最初の写真でもわかるように、ここには蒲殿こと源範頼の館があったとされています。  蒲ちゃんの時代のものかどうかは怪しいですが、一応館を囲む堀が残されていました。 寺がこの地に移ってきたのは、室町時代だそう。 供養塔でもあればいいのに無かったな… 続いては何度か紹介したことがある、吉見観音こと安楽寺です。 範頼が幼いころに身を寄せてい...

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令和出羽合戦(14) ~円福寺と上盾城~

 続いては円福寺です。 前回紹介した前川本城からは、東に10キロほどの場所にあります。   目的地へ行く途中にはいかり印の墓がありました。 キリシタンの墓であると言い伝えられてきたそうです。  そして目的のものとは、支倉常長の墓です。 常長は伊達政宗の家臣で、ヨーロッパに渡ったキリシタンです。 その目的は貿易だとかスペイン艦隊を率いて徳川に歯向かうだとかいろいろ言われていますが、どちらにしろ交渉が...

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令和出羽合戦(13) ~前川本城~

 続いては前川本城です。 東北横断自動車道沿いにあることから、今も昔も交通の要所であることがわかります。 場所は宮城川崎インターから東に直線距離で1キロほどで、上の写真が登山口としてわかりやすいので座標を貼っておきますね(38.16999207387692, 140.6316730378616) 土の城は写真にするとわかりにくいのですが、最初の写真の東屋から登ると見事な堀が出迎えてくれます。  砂金(いさご)氏の城なのですが、伊達氏...

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補陀寺と妙義神社

 昨年11月に群馬県安中市にあります補陀寺に行ってきました。 コロナの感染者も全国で100人前後だった時です。 あの時はもう収束するのかなと思ったものです… この補陀寺は室町時代に創建され、戦国時代には武田氏や北条氏に庇護されました。  上の写真の本堂は、江戸時代に再建されたものです。 目当てのものは案内があったのでわかりやすいです。 大道寺政繁は北条氏の家臣で、近くの松井田城の城主で豊臣秀吉の北...

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東松山市で『鎌倉殿の13人』

 先日は埼玉の(地図上の)中心、東松山市へ行ってきましたよ。 一度紹介したことがありますが、まずは宗悟寺(そうごじ)です。 二代目鎌倉殿こと源頼家の側室だった若狭局(比企能員の娘)が、頼家の菩提を弔うために建立した寿昌寺を、徳川幕府の旗本・森川氏がここに移したのがこの宗悟寺です。 『13人』関連では、若狭局が持ち込んだとされている頼家の位牌が安置されています。 『吾妻鏡』では、若狭局は比企の乱の時に鎌...

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川越市で『鎌倉殿の13人』

 秩父平氏の一族とされる河越氏の館跡の一角に常楽寺があります。 以前も紹介したのですが、ここには河越重頼とその娘・京姫、そして京姫の旦那の源義経の供養塔があります。 京姫(一般的には郷御前)は義経と共に平泉で亡くなったのですが、重頼は義経の舅ということだけで誅殺されてしまいました。  そしてここには室町時代後期に河越館の館主になったとされる、大道寺政繁の供養塔もありますよ。 そして次は川越の桜を見...

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岩槻城と浄安寺

 昨年の9月ですが、さいたま市の岩槻に行ってきました。 このブログでも一度紹介しましたので、城の方は駆け足で… 現存門を二つ写真に収めたら、次の目的地に移動しました。 浄安寺です。 岩槻城からは北東に1キロほどの場所にあります。 まあ、目的は有名人の墓です。 一番右が高力清長の墓。 徳川家康が今川家の人質だったころから仕え、伊賀越えや小田原攻めなど多数に功があったそうです。 小田原攻めの後にここ岩...

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四国遠征記(最終回) ~備中高松城~

 2019年5月の四国旅行のレポートも最終回。 四国ではないけれど備中高松城へとやってきました。  秀吉の水攻めで有名な備中高松城ですが、ここも続日本100名城に選出されました。   上の写真は水攻めの時の城主・清水宗治の首塚です。 城址公園内にあります。  んで、こちらは少し離れた場所にある『胴塚』 住宅街の中にあるのでわかりにくいですが、グーグル先生に案内してもらえば一発です。     ...

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四国遠征記(25) ~岡山城~

 四国遠征記といいながら、岡山県へとやってきました。 二回目の岡山城です。 市営駐車場に車を停めたら、順路通りに進みます。  この日中に埼玉まで車で帰らなきゃならなかったので、先を急ぎます。 写真は鉄門跡。 復元建築物の不明門。  身分が高い人しか通れなかったので、閉まっていることが多かったため『不明(あかずの)門』 こちらは現存建築物の月見櫓です。  街中にも現存櫓があるのですが、また見てくるのを...

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鴻巣市で『鎌倉殿の13人』

 北本市の次は鴻巣市にやってきました。 埼玉県民にはなじみの場所ですよね(笑)  『鎌倉殿の13人』には関係ありませんが、鴻神社に参拝してから目的地に向かいました。  放光寺です。  こちらは安達盛長の屋敷跡とされている場所に建てられた寺です。 安達盛長は頼朝が伊豆に流された時から仕えている武将で、後に『13人』のうちの一人になりました。 ドラマでは早速出番がありましたね。(野添義弘さん)   こ...

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北本市で『鎌倉殿の13人』

 先日は今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』所縁の地に行ってきましたよ。 まずは埼玉県北本市にある石戸蒲桜です。 石戸とはこの辺りの地名、蒲とは蒲冠者こと源範頼(頼朝の異母弟)のことです。 範頼は伊豆修善寺で自刃したとされますが、逃れて生き延びたという伝承が各地に残っています。 そのうちの一つがここ、石戸です。 上の桜は範頼が持っていた杖が根付いたとされるもので、日本五大桜の一つになっています。(後...

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令和出羽合戦(12) ~天童合戦跡~

 続いては天童合戦古戦場です。 近くの八幡社に車を停めて歩いていきました。   古戦場の説明版の立つ場所は、なんだか城っぽい雰囲気…  天童合戦とは、戦国時代後期に最上義光が天童頼久の天童領に攻め込んだ戦いです。    まあ、最上勢が勝ったのですが、その時討ち死にした天童勢の墓が上の写真です。 当主の天童頼久は生き延びて伊達家を頼ったそうです。  ...

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令和出羽合戦(11) ~仏向寺と三寶寺~

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 さあ、今年は旅を再開するぞ!と高らかに宣言しようかと思ったのですが、この記事を書いているころには第六波が始まった雰囲気… 今年も無理かなぁ?  さて、今年最初の記事は、2019年秋の東北旅行の続きです。 山形県天童市の仏向寺へとやってきました。  ここには何があるかというと、幕末の天童藩・家老 吉田大八の墓があります。 彼は天童藩を新政府...

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深谷市と嵐山町で『鎌倉殿の13人』 ~後編~

 後編です。 畠山重忠の墓がある畠山重忠公史跡公園から北東に600mほどの場所にある満福寺へとやってきました。 ここは重忠の菩提寺になっている寺です。   観音堂の隣には、重忠廟の碑(左端)と重忠800回忌の供養塔(真中の五輪塔)、そして彰義隊士・水橋右京の墓(五輪塔の右)があります。 水橋右京は尾高惇忠や渋沢平九郎と行動を共にしていたのですが、新政府軍に負けるとここまで逃げてきて、その後追い詰められて...

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深谷市と嵐山町で『鎌倉殿の13人』 ~前編~

 来年(2022年)の大河ドラマは、北条義時とゆかいな仲間たちを描いた『鎌倉殿の13人』です。 二年連続で埼玉がゆかりの地になるなんてありがたいことですね。 というわけで早速関連史跡巡りに行ってきましたよ! まずは『13人』には入っていませんが、幕府の重要御家人である畠山重忠の墓です。 ドラマではイケメン俳優・中川大志さんが演じる予定ですが、私のイメージだと、さわやかイケメンというよりガチムチ体育...

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Author:四十路
戦国時代と城址巡りとラーメンが好きなアラフィフです。

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