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アワノカミ と アユノメシ (前編)

 本日は埼玉県は寄居町にあります、鉢形城址へと行ってまいりました。

 人生で三度目の鉢形城でありますが、今回は鉢形城歴史館開館5周年記念特別展『北条安房守と真田安房守』を見るのが主な目的であります。

 

 

鉢形城冠木門
【歴史館入り口冠木門】

 

 鉢形城歴史館では、開館5周年を記念して上記のような企画展を11月23日までやっています。

 真田安房守とはご存知、真田昌幸のことで、北条安房守とは、ここ鉢形城主・北条氏邦(藤田氏邦)のことです。
 

 豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけとなった、猪俣邦憲の名胡桃城奪取事件。
 名胡桃城は、昌幸の所有する城。 そして、猪俣邦憲は氏邦の重臣。 くしくも小田原攻めのきっかけとなった当事者二人は、偶然にも『安房守』を名乗っていたことからこの企画が実現したとのこと。

 

 
 

鉢形城土塁
【土 塁】

 

 名胡桃事件以前から、この二人は領地を接していたので争うことが多かったようです。

 書きたいことはいろいろありますが、最初はいつだったでしょうか?

 御館の乱の時に、上杉景勝と結んだ武田勝頼の命令で、真田昌幸が沼田を攻めた時かもしれませんね。

 

 

鉢形城石垣
【石 垣】

 

 武田家が滅亡した時には、氏邦から昌幸に『うちの配下にならないか?』という書状を出しています。 しかも、勝頼が自刃をした翌日にです。 早いですね。
 今日見てきた資料にあったので、間違いはないですよ!

 結局昌幸は織田の傘下になるわけですが、本能寺の直後からは北条→徳川→上杉と主を変えています。

 

 

深沢川@鉢形城
【鉢形城内の深沢川】

 

 昌幸が上杉についた時には一回目の上田合戦があるわけですが、このとき氏邦は徳川と連動して沼田城を攻めています。
 

 この時の沼田城主は真田昌幸の叔父の矢沢頼綱という人だったのですが、 この頼綱の息子も真田信繁(幸村)同様、上杉家に人質に出されていました。
 沼田城が氏邦に攻められる時に、頼綱は上杉景勝に『この合戦の時だけ息子を返してください』とお願いするのですが、景勝は二つ返事で息子を頼綱の元へ返したそうです。

 この時の書状も今日展示されていたのを見てきました。 やはり、景勝『義』の男ですね~

 真田信繁が上杉家の人質であったにもかかわらず、第一次上田合戦に参加していたという話は上記の矢沢家の話がもとになっているのかもしれませんね。
 本当は参加していないんですよ。

 

 

鉢形城本丸
【鉢形城本丸】

 

 矢沢頼綱は氏邦軍を撃退するのですが、後年秀吉の執り成しによって沼田城は北条家のものになってしまいます。
 その時、沼田城代になったのが猪俣邦憲でした。

 

 

本丸から荒川
【本丸から荒川を望む】 

 

 

 そういえば、鉢形城の話が全くでてきませんね。 続きは次回といたしますか。

 


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コメント

なるほど・・・

歴史の皮肉をみてしまった感じですね
・・・とはいえ、それは現代の感覚で、何が起こっても不思議ではなく、何が起こっても生き抜かねばならない時代だったんでしょうね~凸

P.S.
ところで、配下になりませんか??(笑)

Tomさん凸ありがとうございます

それと引き換えに、越中のうち黒部市・魚津市・下新川郡をいただきたくぞんずる。

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