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松本遠征記(最終回) ~小笠原氏三代廟所~

 最終回は小笠原氏の廟所です。 場所は説明しにくいのですが、浅間温泉付近のこの座標(36.266894, 137.990919)にあります。 車ではいけないので、近くの観光駐車場を見つけていくのがいいでしょう。 立派な石垣に守られているのが廟所です。 真ん中が最後の信濃守護・小笠原長時の三男の貞慶(さだよし)。 右が貞慶の息子の秀政で、左が秀政の息子の忠脩(ただなが)の墓です。 忠脩のみ遺骸が埋葬されているそうで、現...

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松本遠征記(7) ~玄向寺~

 続きましては玄向寺です。 なぜか草鞋が沢山かかっている仁王門をくぐります。 この寺は室町時代に開かれましたが、この本堂はその当時かある建物だそう。 そして案内に沿って進むと、目当ての水野氏の廟所があります。 まつられているのは、大坂の陣でも活躍した初代松本水野氏の水野忠清と、それ以下4代当主夫妻と、5代忠幹です。 高さ3mを超える9基の五輪塔は圧巻でした。...

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松本遠征記(4) ~戸田家廟園~

 続いては江戸初期と幕末に松本藩主であった、戸田家の墓です。 戸田家廟園という名で史跡にもなっていますが、普段は見学不可能であります。 場所は県立県ヶ丘(あがたがおか)高校の北側で、駐車場は無いので『あがた運動公園』の駐車場を拝借するといいでしょう。 見学できないので、近くの公園の遊具に登って写真を撮りました。 真ん中やや左の塚の上にあるのが初代・康長の墓です。 戸田康長は徳川家康の家臣で、小牧長...

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松本遠征記(3) ~兎川寺~

 続いては兎川寺(とせんじ)です。 松本駅から東に3.5キロほどの場所にあり、このあたりの地域名が『兎川寺』となっているので、あまり迷うこともないでしょう。 この寺の創建は飛鳥路時代で、開いたのは聖徳太子だそうです。 ほんとかなぁ?? んでここには石川数正夫妻の墓があります。 数正は徳川家康の家臣でしたが、豊臣家に寝返ってしまった人です。 寝返った理由は、褒美に目が眩んだとか、家康と不仲だったとか、...

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松本遠征記(2) ~廣澤寺~

 続いては廣澤寺です。 馬場家住宅からは、北北東に6キロほどの場所にあります。 と、その前に、冠木門の向かいにはこんな場所がありました。 徳川家康の祖先・松平親氏親子が諸国放浪中にここの住人・林光政宅に寄ったそうな。 林は何も御馳走するものが無かったので、廣澤寺の門前で兎を捕まえて御馳走しました。 その後、徳川家は隆盛を極め、林家はその徳川家の家臣になり、毎年正月には徳川将軍に兎汁をふるまうことを...

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松本遠征記(1) ~馬場家住宅~

 さてここからは、今年四月に行った長野県松本市の史跡巡りのレポートです。 結果的に平成最後の遠征になりました。 んで、まずはここ『馬場家住宅』です。 松本駅から南南東に7キロ、塩尻北ICからですと東に3キロほどの場所にあります。 国の重要文化財にも指定されているので、案内も充実しているので迷うことも無いでしょう。 馬場家住宅というのは、天正10年に滅んだ後、武田家の家臣・馬場氏が建てた住宅です。 今...

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高遠遠征記(7) ~五郎山~

 続いては仁科五郎盛信の墓がある五郎山に登ります。 前回(10年ほど前?)は車で山頂近くまで登ったので、今回は老体に鞭打って麓から登りましたよ。 駐車場は無いので、一番最初の写真のほりでいぱーくの駐車場をお借りしましょう。 五分ほど歩けば、上の写真の登山道入り口に行けます。(登山口の座標 35.823592, 138.061410) 1582年、織田信長は仁科五郎盛信(武田信玄五男)が籠る高遠城を攻めたのですが、盛信やほかの...

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高遠遠征記(6) ~蓮華寺~

 続いては蓮華寺です。 この蓮華寺は、絵島生島事件で配流になった絵島の墓があります。 絵島なんてあまり興味がないのですが、一応『墓マイラー』端くれとして寄ることにしました。 絵島とは徳川家継の生母・月光院に仕えた人です。 生島という歌舞伎役者と密通したという罪で、高遠に流罪になりました。  本当は密通はでっち上げで、対立していた徳川家宣の正室・天英院派によって失脚させられた(絵島は月光院派)という...

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高遠遠征記(5) ~満光寺~

 続いては満光寺です。 創建は天正元年とされ、高遠城主の帰依を受けました。  もちろん有名人の墓があります。 時の高遠藩主であった保科正光は、子供がいなかった為に妹の子である左源太を養子に迎えました。 …なのですが、なぜか徳川秀忠の隠し子(?)である幸松丸(後の保科正之)をも養子に迎えることになってしまいました。 正光も左源太をどう扱うか悩んだでしょうが、それも稀有に終わり、左源太は夭折してしまし...

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高遠遠征記(4) ~建福寺~

 続いては建福寺です。 建福寺は12世紀ころの創建ですが、高遠城主が武田勝頼のころには武田家の菩提寺になりました。 勝頼の母親である諏訪御料人が埋葬されています。 一番右が諏訪御料人の墓。 真ん中が保科正直で、左が保科正光です。 保科氏は元々信濃の国衆・高遠氏の家臣でしたが、その後武田→徳川と仕え、最終的には高遠に帰ってきて大名になりました。 正光の奥さんは真田昌幸の娘ですが、徳川秀忠の隠し子?であ...

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高遠遠征記(2) ~峰山寺~

 続いては峰山寺です。 この寺は、高遠藩主だった鳥居忠春が、父の菩提を弔うために建立されたとされています。 もちろん、忠春のお父さん(忠政)の墓があると思いきや… 忠春本人と母親(内藤氏)の墓がありました。 忠春は暴君として有名で、その結果家臣に切り殺されるという最後になりました。 普通はそれで改易なのでしょうが、祖父の元忠の功績(関ヶ原の前哨戦・伏見城の戦いで討死)が考慮されて、長男が跡を継ぐこ...

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Author:四十路
戦国時代と城址巡りとラーメンが好きなアラフィフです。

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