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三春遠征記(最終回) ~伊東肥前と安積左衛門~

 三春の史跡巡りも終わり、あとは会津にて向羽黒山城のスタンプを押すだけになったのですが、途中郡山に寄り道をしました。 まずは日吉神社です。 ここには伊東肥前の碑がありました。 戦国時代に伊達政宗と蘆名・相馬連合軍による郡山城争奪戦があったのですが、その時に政宗の身代わりになって討死したのが伊東肥前でした。 江戸時代になって参勤交代の時には必ずここに立ち寄ったそうです。 続いては安積左衛門の墓です。...

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三春遠征記(6) ~福聚寺~

 続いては福聚寺(ふくじゅうじ)です。 駐車場が満車でしたが、なにかあったのだろうか? まあ、私は折り畳み自転車だったので大丈夫でしたが、車だったら駐車場探しに難儀するところでした。 この福聚寺は田村氏の菩提寺で、田村氏が三春に移ってきたときに一緒に移転してきました。 というわけで田村氏の墓があるのですが、案内の碑が木で隠れてしまっていてちょっと迷ってしまいました。 写真もヘンだし… んでこちらが...

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三春遠征記(6) ~州伝寺~

 続きましては、州伝寺です。 この寺は、1623年に三春藩主になった松下氏の菩提寺です。 松下氏は豊臣秀吉の主筋(秀吉の少年時代の主君が松下氏)でしたが、三春に移ってきたころには賤ケ岳の七本槍の一人、加藤嘉明の与力という立場でした。 加藤氏が改易になると、なんだかんだ理由をつけられて松下氏も改易になって、親戚筋の土佐藩主・山内氏に預けられました。 上の写真は、松下長綱・豊綱・重綱の墓石ですが、高知県に...

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三春遠征記(5) ~田村大元神社~

 続きましては田村大元神社です。 三春城の郭の一つ、東館へ行く途中にあります。 もともとは田村氏の発祥の地にありましたが、田村氏と共にこちらに移って来ました。 こちらの拝殿は明治半ばに再建されたものです。 こちらも拝殿と同じ頃に建てられたものです。 どちらも彫刻が素晴らしかったですよ。...

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三春遠征記(4) ~光岩寺~

 次は岩光寺です。 三春市街地から国道288号を東に向えば、上の写真の案内があります。 その案内から急坂を登れば、仮本堂が見えてきます。 江戸時代の火事で焼けてから、本堂が再建されていないのだそうな。  んで、こちらには三春藩主だった松下長綱の母・星覚院の墓があります。 星覚院というとわかりにくいですが、あの賤ケ岳七本槍で有名な、加藤喜明の娘です。 ...

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三春遠征記(3) ~紫雲寺~

 続きましては紫雲寺です。 前回までに紹介した二つの寺とも近いですよ。 ここにもちょっとしたマイナー有名人の墓があるのです。 上の写真は三春藩秋田家のお家騒動に巻き込まれて切腹させられた、滋野多兵衛の墓です。 そしてこちらは、戊辰戦争における西軍戦死者の墓です。 三春藩は最初は奥羽列藩同盟に参加したのですが、後に新政府側に加わったんですよね。 会津藩や二本松藩から見たら裏切りに見えたでしょうが、こ...

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三春遠征記(2) ~高乾院~

 続いては高乾院です。 穏龍寺からは歩いて5分くらいの場所にあります。 この高乾院は秋田氏が笠間にいたころに菩提寺に定められたのですが、こちらの三春に移封されてときに共に移ってきました。 というわけで、こちらには笠間時代以降の当主他の墓があります。(8代謐季は除く)  でも、どれが誰の物かわからないなぁ~ 大名墓としてもとても質素ですね。 それともこちらの御霊屋の後ろの墓石がそうなのか?...

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三春遠征記(1) ~龍穏院~

 さて今日からは昨年9月に行った、福島県三春の史跡めぐりのレポートです。  遠征はいつもと変わらず行っているのに、ブログ記事のアップ回数が減っているので、写真が溜まるいっぽうなのです… まずは秋田氏の菩提寺である龍穏院から。 秋田氏は元々は安東氏と名乗っていて、津軽地方を治めていた国衆です。 最近『国衆』という言葉をよく聞きますよね? 以前は『国人』とか『豪族』と言っていたような気がしたのですが、調...

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雪解けを待って中通り(10) ~人取橋古戦場~

 続いては人取橋古戦場です。 国道4号の238㎞ポスト付近にありますが、車を停める場所は無いに等しいといってもいいでしょう。 私は脇道に路駐しました。 伊達政宗が畠山氏を滅ぼそうと、二本松城を囲っていました。 すると、佐竹・蘆名他の連合軍が畠山氏を助けようと、3万の軍勢で北上してきたのです。 それを伊達軍7000で迎え撃ったのが、人取橋の戦いです。 鬼庭左月が討死するなど伊達軍が劣勢でしたが、佐竹氏の本...

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雪解けを待って中通り(9) ~玉泉寺~

 続いては玉泉寺です。 本宮城からは北西に車で10分ほどの場所にあります。  もちろん有名人の墓があるのですが、玉泉寺の境内にあるのではなく、ちょっと外れの霊園内にあいました。 右がこの寺の開基の大河内光盛の墓。 真ん中が戦国時代にこのあたりを治めた玉井日向守の墓です。 玉井は伊達政宗に攻め滅ぼされたようです。 その他に、この寺は幕末の会津戦争の時には野戦病院の役割を果たしていたそうで、その時亡くな...

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雪解けを待って中通り(6) ~粟ノ巣古戦場~

 続いては粟ノ須古戦場です。 加藤明利の墓がある顕法寺からは、南へ5キロほどの場所にあります。 とても分かりにくい場所にあるので、座標(37.572412, 140.459686)だけ載せておきますね。 粟の須の戦いとは、伊達政宗が畠山義継に拉致られた父・輝宗を、義継諸共に射殺してしまったというあの戦いです。  この戦いは河川敷で行われたというイメージがあったのですが、周囲は田植え前の田んぼでした。 独眼竜政宗の影響...

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戦国時代と城址巡りとラーメンが好きなアラフィフです。

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