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西甲州攻め(最終回) ~大輪寺~

Category : 山梨県のいいところ
1大輪寺本堂 (1200x900)  

 西甲州攻め最後に訪れたのは、武田八幡と同じ韮崎市にある大輪寺です。

 大輪寺は、板垣信方と共に武田信玄の"両識"を務めた甘利虎泰の息子・甘利昌忠によって開かれました。








2甘利代々 (1200x900)

 昌忠は30歳の時に落馬事故で亡くなったとされ、跡を継いだ弟の信康は、長篠の合戦で亡くなりました。

 







 
3甘利昌忠 (1200x900)

 左が甘利昌忠の墓です。









 
4甘利にゃんこ (900x1200)

 衆議院議員の甘利明氏は、子孫だニャ








 


より大きな地図で 西甲州 を表示






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西甲州攻め(11) ~武田八幡神社~

Category : 山梨県のいいところ
1武田八幡一の鳥居 (1200x900)  

 甲斐武田氏初代・武田信義の墓参り(願成寺)を済ませたら、その信義が元服したとされる武田八幡神社に行きました。

 上の鳥居は願成寺から1キロほどの場所にありますが、社殿はさらに300mほど奥にあります。









2武田八幡総門 (1200x900) 

 300m歩いてもよかったのですが、社殿の近くにも駐車場があるので車で社殿近くまで行きました。









 
3武田八幡階段 (900x1200) 

 だって、またこんなに長い階段を登るのがわかっていましたからね(笑)









 
4武田八幡舞殿 (1200x900) 

 この武田八幡神社は、弘法大師が八幡大菩薩を見たことにより祠を建てたことに始まります。

 もちろん他の説もありますが、この付近に居を構えた甲斐武田氏初代・武田信義がここを氏神としたことから、武田八幡神社となったようです。(当時は武田八幡宮)









 
5武田八幡拝殿 (1200x900) 

 戦国時代になると、甲斐国主となった武田信玄が、この神社の本殿を造営しています。









 
6武田八幡本殿 (1200x900) 

 それがこの本殿で、国の重要文化財に指定されています。

 








 
7本殿の鬼 (900x1200) 

 リアル鬼板! ちょっと怖い…


 そしてこの神社には、最後の武田当主・勝頼の夫人である北条夫人が書いた願文が残されています。


 そこには夫である勝頼の勝利を願い、それが叶えばこの神社に社殿等を奉納するとのことが書いてあるのですが、北条夫人はこの願文を奉納したわずか20日後に、夫と共に天目山にて自刃をするのでありました。

 吉田松陰の妹なんかより、こっちのほうがよっぽどドラマチックだけどなぁ…
 
 




 

  
8白山城入り口 (1200x900)

 ちなみにこの神社の裏山は、白山城という城なのですが、陽も暮れてきたし写真のような注意書きもあったので、登るのはやめておきました。

 







 
9富士山 (1200x900)

 この日、初めて富士山が見えた!



 
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西甲州攻め(10) ~願成寺~

Category : 山梨県のいいところ
1願成寺 (1200x900)  

 武田勝頼ゆかりの寺を参拝した後は、勝頼のご先祖さん縁の寺に行きました。









2願成寺 (900x1200) 

 この願成寺は、8世紀ごろの創建とされますが、一時衰退します。
 
 その後、平安時代にこの地の領主になった、武田信義が再興しました。









3御霊殿 (1200x900) 

 もちろん、この武田信義が甲斐武田氏初代とされる人ですね。

 上の写真のガリガリのオッサンは誰だか知りませんよ!









  
4武田信義の墓 (1200x900) 

 もちろん、武田信義のものとされる墓石も残されていました。









 
5願成寺にゃんこ (1200x900) 

 武田勝頼は、信義から数えて17代目だニャ
  







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西甲州攻め(9) ~恩昌寺と光明寺~

Category : 山梨県のいいところ
1恩昌寺 (1200x900) 

 新府城を攻略したら、新府駅近くにある二つの寺に行きました。

 まずは恩昌寺

 武田家最後の当主・勝頼には七人の子供がいたそうで、その長女が開いたのが恩昌寺です。

 甲斐府中が躑躅ヶ崎から新府に移って早々にこの寺は開かれ、年が明けてすぐに彼女は亡くなったのだそう。









2武田姫の墓 (1200x900) 

 それは武田家滅亡の二か月前のことでした。

 自分の家の滅亡を見ることなく死んだのは、ある意味幸せだったのかもしれません。









 
3光明寺 (1200x900) 

 次は光明寺です。









 
4光明寺のかや (900x1200) 

 ここも武田勝頼ゆかりの人の墓があります。

 武田勝頼が甲斐府中をむりやり新府に移した翌年、勝頼の妹・真里姫を娶って武田家の親族衆となっていた木曽義昌が、武田家を裏切ります。 

 怒った勝頼は、木曽に征伐軍を送ると同時に、人質であった義昌の母と息子・娘の三人を新府城にて処刑したのでした。








   
 5木曽氏の墓 (1200x900) 

 その処刑された三人の墓が、ここ光明寺にあります。
  
 古い墓石が当時のもので、新しいのは400回忌に立てられたものだそうです。



 結局、織田信長の援軍を得た木曽軍が武田軍を破るのですが、この裏切りが織田信長の武田征伐のきっかけになったのですね。

 木曽義昌の裏切りから約一か月後、武田家は滅亡を迎えたのでした。









6ニャンコ (1200x900)

 あっけなかったニャ

  

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西甲州攻め(7) ~満福寺~

Category : 山梨県のいいところ
1穴やまし (1200x900)  

 正覚寺の後は、韮崎市にある満福寺に向かいました。









2満福寺 (1200x900)

 最初の写真でばれてしまっていますが、ここは穴山氏の菩提寺となっております。









 
3満福寺本堂 (1200x900)

 穴山氏は、先日紹介した新羅三郎義光から数えて11代目の武田信武の息子が、穴山領を治めたことに始まるとされます。

 一時この寺は衰退してしまいますが、あの穴山信君が再興しました。










 
4穴山氏の墓 (1200x900)

 というと、信君の墓があると思うのですが、ここにある墓は初代・穴山義武の墓であるとのことです。









 
5穴山ニャンコ (900x1200)

 信君の墓は、京都府京田辺市と静岡県清水市にあるニャ




 
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