記事一覧

西甲州攻め(最終回) ~大輪寺~

   西甲州攻め最後に訪れたのは、武田八幡と同じ韮崎市にある大輪寺です。 大輪寺は、板垣信方と共に武田信玄の"両識"を務めた甘利虎泰の息子・甘利昌忠によって開かれました。 昌忠は30歳の時に落馬事故で亡くなったとされ、跡を継いだ弟の信康は、長篠の合戦で亡くなりました。    左が甘利昌忠の墓です。   衆議院議員の甘利明氏は、子孫だニャ  より大きな地図で 西甲州 を表示[甲斐国] ブロ...

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西甲州攻め(11) ~武田八幡神社~

   甲斐武田氏初代・武田信義の墓参り(願成寺)を済ませたら、その信義が元服したとされる武田八幡神社に行きました。  上の鳥居は願成寺から1キロほどの場所にありますが、社殿はさらに300mほど奥にあります。   300m歩いてもよかったのですが、社殿の近くにも駐車場があるので車で社殿近くまで行きました。     だって、またこんなに長い階段を登るのがわかっていましたからね(笑) ...

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西甲州攻め(10) ~願成寺~

   武田勝頼ゆかりの寺を参拝した後は、勝頼のご先祖さん縁の寺に行きました。   この願成寺は、8世紀ごろの創建とされますが、一時衰退します。    その後、平安時代にこの地の領主になった、武田信義が再興しました。   もちろん、この武田信義が甲斐武田氏初代とされる人ですね。  上の写真のガリガリのオッサンは誰だか知りませんよ!      もちろん、武田信義のものとされる墓石...

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西甲州攻め(9) ~恩昌寺と光明寺~

  新府城を攻略したら、新府駅近くにある二つの寺に行きました。  まずは恩昌寺。  武田家最後の当主・勝頼には七人の子供がいたそうで、その長女が開いたのが恩昌寺です。  甲斐府中が躑躅ヶ崎から新府に移って早々にこの寺は開かれ、年が明けてすぐに彼女は亡くなったのだそう。   それは武田家滅亡の二か月前のことでした。  自分の家の滅亡を見ることなく死んだのは、ある意味幸せだったのかもしれません。 &#...

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西甲州攻め(7) ~満福寺~

   正覚寺の後は、韮崎市にある満福寺に向かいました。 最初の写真でばれてしまっていますが、ここは穴山氏の菩提寺となっております。   穴山氏は、先日紹介した新羅三郎義光から数えて11代目の武田信武の息子が、穴山領を治めたことに始まるとされます。 一時この寺は衰退してしまいますが、あの穴山信君が再興しました。   というと、信君の墓があると思うのですが、ここにある墓は初代・穴山義武の...

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西甲州攻め(6) ~勝永寺と正覚寺~

   若神子城を攻略したら、勝永寺に向かいました。   この勝永寺は、武田信玄の家臣であった屋代勝永が開いた寺です。  もちろん勝永の墓があるのですが、寺の敷地内にあるのではなく、この門から100mほど東の民家の隣にありました。      私は事前にインターネットで調べていたからたどり着けましたが、案内看板も何もないので、人に聞いたりしなきゃだどりつくのは至難でしょうね。  良いか...

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西甲州攻め(4) ~龍岸寺~ と、今日と明日は川越祭りです!

   馬場信房縁の地を巡ったあとは、龍岸寺です。(ここも信房縁ですけどね) ここは主な街道からも離れ、畑の真ん中にあるためにわかりづらかったです。 まあ、今の時代はカーナビやスマホなんて便利なものがあるので、簡単に到着できますね。 きっと史跡めぐりを始めた20年ほど前の頃の私じゃ、たどり着くことなんて出来なかったかもしれません。   それはともかくとして、この龍岸寺は真田信尹(さなだのぶ...

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西甲州攻め(3) ~自元寺と白須若宮八幡~

  谷戸城攻略の後は、自元寺に行きました。  自元寺は、武田氏の家臣・馬場氏の菩提寺です。  上の門は、その馬場氏の屋敷から移設したものと伝えられ、それが本当だとしたら相当古いものでしょうね。  もちろんメンテはしているのでしょうが…   開基は勿論、馬場美濃守信房です。  本堂は幕末に再建されたものだそうです。       馬場信房の墓です。  信房の墓は、ここの他に設楽ヶ原古戦場や、恵林...

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西甲州攻め(1) ~三分の一湧水~

     というわけで(←どういうわけや?)、9月某日に山梨県の西部に史跡巡りに行ってきました。  そのレポートを今日から始めます。   まずは埼玉から圏央道→中央道と運転をして、八ヶ岳PAで休憩をしました。  晴れていれば八ヶ岳を見ることができたらしいのですが、ご覧の曇り空…  結局は、この雲に一日中悩まされることになってしまいました。     高速道路を下りて、最初に向かったのがここで...

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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(9)

 景徳院を出た私は、近くの日川渓谷でしばし休憩。 10月中旬のことでしたので、紅葉はまだ始まっていません。    現在は舗装道路が整備されていますので、景徳院からはすぐそこです。     そしてここが、勝頼が行きたかった『天目山』です。 天目山といっても『山』ではないんですね。 私も最近知ったのですが、『比叡山延暦寺』とか『高野山金剛峰寺』 というように、『○○山』と...

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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(8)

 侍女の殉死レリーフの近くには景徳院というお寺があります。 ここは、徳川家康が武田勝頼の霊を弔うために建てました。  本当に弔うために? 甲斐の人々の心を掴みたかったんじゃないの~?   立派な山門です。 この門は、二度にわたる火災にも耐えて今に至るんだそうですよ。    本堂と旗堅松。 勝頼は左側に写る松の根元に御旗(みはた)をたて、息子の信勝に楯無鎧(たてなしのよろい)...

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Author:四十路
戦国時代と城址巡りとラーメンが好きなアラフィフです。

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