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北関東の100名城を日帰りで訪ねる旅(1) ~水戸城~

Category : 茨城県の城
1弘道館 (1200x800)

 今日から新シリーズです。

 テーマは記事のタイトルの通りです。

 





2こーどーかん (1200x800)

 北関東の100名城は、水戸城・足利氏館・金山城・箕輪城と、水戸城を除けば北関東でも比較的南に位置しているので、続けて巡りやすいとは思います。







3斉昭 (1200x800)
 
 というわけで、最初は水戸城です。

 スタンプは弘道館のチケット売り場にありますが、弘道館は華麗にスルーして水戸城見学です。








4大手門 (1200x800)

 こちらは大手門跡。

 道が曲がっているのが枡形門っぽくていいですね。








5ほり (1200x800)

 んで、こちらは本丸を守る堀跡。

 今は底に電車が走っていますが、いつ見ても深くて良い堀ですね。







6やくいもん (1200x800)

 その堀を渡ると、水戸城唯一の遺構建築物である薬医門(橋詰門)があります。

 水戸高校の敷地内にありますが、史跡見学であればオッサンがカメラを持ってうろうろしていても良いそうです。

 
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常州攻め2013(6) ~額田城~

Category : 茨城県の城
額田城  

 瓜連城から南東へ車で15分、額田城へとやってきました。








額田城 (5) 

 額田城は13世紀の半ば、佐竹氏五代・義重(鬼義重ではなく、鎌倉時代の当主です)の次男・義直がこの地に築いたのが始まりです。

  この義直が額田氏を名乗り代々続きますが、戦国時代初期に佐竹宗家に滅ぼされ、以後、佐竹家臣の小野崎氏が額田城主になります。
 
 しかしこの小野崎氏も謀反の疑い有りとされて、時の当主・佐竹義宣は豊臣秀吉の許しを得てから額田城を落城させました。

 小野崎氏は伊達政宗を頼り、後に水戸徳川家の家臣になったそうです。

 城は、佐竹家が出羽に移封になったと同時に廃城になりました。




 








額田城 (3) 

 私がこの額田城を訪れる数日前、伊達政宗が額田城主の小野崎氏に当てた書状、が震災で崩れた蔵の中から発見されたというニュースがはいってきました。

 それは『佐竹を裏切って、俺と組まねえか?』という内容のものだったらしいのですが、額田城落城から400年たった今、謀反の証拠がみつかって、さぞかし秋田県知事もお喜びのことでしょう(笑)









額田城 (4) 

 額田城の見所は、良好に残った堀と土塁です。

 でも、石垣も現存建築物もないので、写真にすると地味になってしまいますね~








 
額田城 (2) 
【クリックで拡大】 









 
額田城のチューリップ 

 なので、二の丸に植えられていたチューリップで、少しカラフルな記事になったかな?







  



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常州攻め2013(5) ~瓜連城~

Category : 茨城県の城
常福寺 

 佐竹寺から南西に車で15分、茨城県那珂市にあります常福寺にやってきました。









常福寺本堂

 常福寺は、14世紀の中頃に開山され、15世紀初めにこの地に移ってきました。

 







 
山野辺氏の墓 

 そしてこの常福寺には、山野辺氏の墓所があります。

 山野辺氏初代の義忠は最上義光の4男で、山野辺氏に養子に入って山野辺義忠と名乗ります。

 義光が亡くなった後、義忠は最上家の跡目争いに巻き込まれて、最上家は改易になり、義忠は命は助かったものの地方へ配流になります。

 後に義忠は許されて水戸藩お預かりの身となり、最上家再興とはなりませんでしたが、水戸光圀の教育係を勤めたりしたことが認められて、水戸藩の家老になります。

 義忠は1663年に亡くなりましたが、その子孫は代々水戸藩の家老職に就いたそうな。









 

 
瓜連城土塁

 そんな常福寺は、瓜連城(うりづらじょう)の跡地に建てられています。









 
瓜連城土塁 (2)

 瓜連城は、楠正成の甥・正家によって築かれ、関東における南朝方の拠点になりました。

 しかし、北朝方の佐竹氏などに攻められ落城し、そのまま廃城になりました。

 その後すぐに上記の常福寺が建てられたのが幸したのか、比較的良好な状態の土塁があちこちに残っています。

 







 
常陸にゃんこ

 次もお城だニャ
 




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常州攻め2013(4) ~馬坂城と佐竹寺~

Category : 茨城県の城
馬坂城 (2)  

 さて、次は佐竹氏が常陸太田城の前に本城としていた城・馬坂(まざか)城に行きました。

 行く順番を逆にすればよかったですね~









馬坂城 

 佐竹氏の初代・義業(または昌義)が、以前からあったこの城を奪って本城としました。

 いってみれば、ここが佐竹氏発祥の地ということになるのせしょうか?









 
馬坂城から 

 佐竹氏が常陸太田城に移ってからも、この城は佐竹一族が城主となって機能し、佐竹氏が出羽に移封になってから廃城になったようです。 

 景色はまぁまぁ…








 
 
佐竹寺仁王門 

 そして馬坂城のすぐ近くには、その名も“佐竹寺”があります。









  
佐竹寺仁王

 9世紀頃の創建で、鎌倉時代から室町時代にかけては佐竹氏の祈願寺になりました。

 江戸時代にも水戸徳川家に保護されて繁栄したそうですが、明治の廃仏毀釈によって衰退したそうな。
 








佐竹寺

 重要文化財の本堂は、16世紀に佐竹義昭によって再建されたものです。









 
佐竹の家紋

 佐竹氏の家紋“五本骨扇に月丸”が輝いていました。









 
佐竹寺ニャンコ

 一般的には、日の丸扇と言うのだニャ!




 
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常州攻め2013(3) ~常陸太田城~

Category : 茨城県の城
常陸太田城  

 清和源氏の流れを汲む新羅三郎義光の長男・義業が、佐竹郷(現・茨城県常陸太田市)に住み着いて佐竹氏を名乗りました。(義業の息子説もあり)

 その佐竹氏が三代目・隆義の代から本拠にしたのが、ここ常陸太田城(別名・舞鶴城)です。

 以後、戦国末期に佐竹義宣が水戸城に移るまで佐竹氏の本拠地でした。
 
 それからは佐竹氏が秋田に移封になるまでは、義宣の父・義重の隠居城で、江戸時代には水戸藩の家臣の屋敷が置かれたどうです。

 

 現在の常陸太田城址には、城の遺構らしきものはほとんど残ってなく、上の写真の石碑のみがあります。

 しかもその石碑は小学校の敷地の中にあるので、注意しないと不審者に間違えられるかもですね~










太田八幡宮 

 隣にある若宮八幡宮は、太田城の二の丸にあたるというので行ってみました。










  
太田八幡 

 いつだかの佐竹当主が、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請してきたものです。









  
太田八幡拝殿

 常陸を統一した戦国大名・佐竹氏の本城なのに何もないのは、ちょっとがっかりでした。





  

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