やまとのことも、夢のまた夢(34) ~柳生古城~
- 2015/12/11
- 23:43

芳徳寺の後は、柳生古城を攻めました。 場所は、『柳生』という名前のバス停のすぐ近くです。 少し登れば、こういった堀切等の遺構を見ることができます。 これは土塁? 10分ほど登ったら主郭です。 土塁上には剣塚がありましたが、これがなにを示すかはわかりません。 実はこの塚の奥で遺構を多く見ることができるそうですが、わからなかったので帰ってきてしまいました。 この日の史跡巡りはこれでお終いで...
やまとのことも、夢のまた夢(30) ~多聞城~
- 2015/11/13
- 18:15

大和郡山市から車で30分ほど北上し、超有名観光地の奈良公園の駐車場に駐車したら、自転車を引っ張り出して城攻めをしました。 その城とは、松永久秀の居城、多聞城です。 1560年に久秀によって築かれましたが、一度目の謀反の時に明け渡してからすぐに廃城になったために短い命でした。 立派な石垣や天守などもあったそうですが、今は何も残っていません。 あ、堀切跡はありましたよ。 この川は、濠跡なのかにゃ?[大和...
やまとのことも、夢のまた夢(28) ~大和郡山城・その2~
- 2015/10/29
- 17:09

大和郡山城の続きです。 追手門をくぐると常盤曲輪があり、今は学校が建っています。 振り返れば本丸の石垣があるのですが、下の方には土が溜まっていてあまり見栄えは良くないですね。 右上に見えるのが天守台です。 少し左に目を向けるとこんな感じ。 復元する気持ちだけはあるみたいです。 では、本丸へ… まあ、よくあることですが、整備中で天守台近くには寄れませんでした。 大和郡山城天守名物の、...
やまとのことも、夢のまた夢(27) ~大和郡山城~
- 2015/10/28
- 18:01

この日は朝一で大和郡山城を攻略しました。 大和郡山城といえば、この写真ですね。 左に写っている木は枝垂れ桜で、春の写真が良く使われているのを見ます。 上に写っている電線は鉄道の架線ですが、どうしても写ってしまうのですが、皆さんの写真はフォトショなどで消しているのかな? それとも写らない角度があったのだろうか? というわけで、電車と櫓の下手くそなツーショット写真をどうぞ(笑) 踏切を渡れば、濠が見...
やまとのことも、夢のまた夢(24) ~信貴山城~
- 2015/10/09
- 21:55

大阪府から一山越えて、奈良県にやってきました。 というわけで、タイトルも変わっていますよ(笑) 奈良県生駒郡にあります、信貴山 朝護孫子寺(しぎさん ちょうごそんしじ)です。 この寺の創建時期は不明で、開基は聖徳太子とされますが、あくまで伝説の域を出ません。 そんなこともあってか、ここにある聖徳太子像は馬に乗りながら笛を吹くという、現代でいうところの『ながら運転』をする危ないヤツとなっており...
紀伊半島横断の旅(17) ~秋山城~
- 2012/05/02
- 23:09

秋山城は、現在の奈良県宇陀市にあります。 上の写真のように、春日神社が登山道の入口です。 大手門ともいえる春日門の石垣。 春日神社の狛ちゃん。 後の石垣は、遺構かどうかはわかりません。 秋山城は、室町時代に秋山氏によって築かれました。 戦国時代に豊臣秀長が大和に入ると、その家臣が入城して松山城と改名し、近世城郭として生まれ変わります。 関ヶ原の合戦後は、福島正則の弟・高晴に与...
紀伊半島横断の旅(14) ~高取城・その2~
- 2012/03/28
- 22:33

高取城は14世紀の前半、大和の国人・越智氏によって建てられたのが最初とされます。 戦国時代後期には、大和郡山城の支城として、筒井順慶や豊臣秀長が城主となります。 秀長の家臣だった本多氏は、関ヶ原では東軍に付き、本領を安堵されて高取藩が立藩しました。 本多家に跡取りがなく断絶をすると、17世紀前半に植村氏が入って明治維新を向かえます。 植村氏は、高取城に入っても山...
紀伊半島横断の旅(13) ~高取城・その1~
- 2012/03/25
- 21:47

この日の前日は、奈良県五條市に宿をとりました。 その宿から一時間弱で、高取城に到着です。 狭い車道をひたすら登ると、最初の写真の場所にたどり着きますが、そこからだと本丸まで600メートルほど歩かされることになりますので、もうちょっと登って、上の写真の場所まで車で行ってから登城です。 それと、駐車場はありませんので(駐車スペースは何台分かはある)注意してくださいね。 坂はキツイですが...