>

プレイバック姫路城、天守のある風景(1)

Category : 兵庫県の城

 2008年ももう終わりですね。 皆さんの2008年はどのような年でしたでしょうか?

 私はなんといっても姫路城に行けたことが、一番の思い出であります。

 

というわけで、今年最後の記事は『プレイバック姫路城!』と題しまして姫路城の思い出を綴りたいと思います。

 けっして、ネタが無いわけではありません。

 

姫路駅から 

 

 姫路駅を出るといきなり天守が見えます。 はっきり言って、もっと焦らしてほしかったですよね。 とはいえ、歩道を歩いていると、天守なんて全然見えません。 この写真も信号のタイミングをみて横断歩道のど真ん中で撮ったわけです。 道を歩いていくと、だんだん天守が近づいてくるってわけではないんです。 早朝だったら、車道の真ん中を歩くことも可能ですけどね。

 

 

二の丸から 

 

 この石碑の前は絶好の撮影スポット。 皆ここで写真を撮っていました。 休日だったら行列でもできるんでしょうね?

 ここは、大きな広場になっていて観光客と地元の人が混在していて、なんか不思議な光景でした。

 

 

美術館と天守 

 

 私が好きな写真。 天守と近代建築のコラボ。 この建物は美術館ですが、天守も美術品ですよとでも言っているかのようです。

 

喜斎門から 

 

 天守東側にある喜斎門あたりから見た天守です。 このあたりになると、観光客がいないんですよね。 実はこの近くにもチケット売り場があって、天守に早く行きたい方はこちらの入り口がお勧め。

 坂はこちらのほうがキツイですよ。

 

 

搦手登閣口から 

 

 その別の入り口、搦手登閣口から少し登ったところから。 ちなみにその入り口は「と」の門です。 「と」の門は4つあって、上から一の門・二の門・三の門・四の門です。

 

 

「と」の一門 

 

 その一番天守に近い「と」の一の門と天守。

 

 

天守 (6) 

 

 下から眺めた天守。 写真ではよくわかりませんが、かなり迫力がありました。 鳥肌が立つほどに…

 

天守 

 

 定番のアングルですよね。 

  

 今回で姫路城編は完結にしようと思っていましたが、使えそうな写真がまだあるのでもうちょっとお付き合い願います。

 

 

 姫路城に行ったあたりから、ブログの記事の更新回数が増えてしまいました。 今までは三日に一回くらいのスローペースであったのに、12月は毎日のように更新をして、ちょっと疲れてしまいました。

 また来年からは以前のように、スローペースに戻させていただきます。

 そしていつにまにか「史跡ブログ」のようになってしまいましたが、以前のように、女子アナ176ネタや大河ドラマネタを徐々に増やしていきたいと思います。 ただし、スイーツネタはもうやらないと思います。 だって、ダイエット中ですからね!

 

大木ちゃん081227

 

 

それでは皆さん、よいお年を!! 

 

 

 

 

 

 

 



にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
スポンサーサイト

世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり(2)

Category : 埼玉入間のいいところ

 江戸時代から大正時代に建てられた、蔵造りの街並みが残る川越一番街。

 この一番街は駅からは少し遠く、戦後客足は駅前に流れてしまいました。 どげんかせんといかんと言ったかどうかは知りませんが、蔵を生かした街・観光地づくりをしようと市や一番街の店主達は動き出します。

 街並みに似合わぬ看板や店舗は撤去し、電柱は地中に埋められ、歩道は石畳となりました。

 

 努力の甲斐あって、今では年間600万人もの観光客が訪れるまでになりました。

 

蔵の街

【蔵造りの街並み】

 


大沢家

【大沢家住宅】

 

 なかでも一番古い(1792)のがこの大沢家住宅です。 元々は呉服屋でしたが、今は民芸品などを売っています。 国の重文です。

 

 

亀屋 

【亀屋】

 

 川越藩御用達の和菓子屋。 洋菓子も売っています。 1783年創業。

 

 

マツザキスポーツ

【マツザキスポーツ】

 

 私は野球のことはよく知りませんが、なんでも画期的な野球のスパイクを考案したそうです。 そのスパイクの販売権を大手メーカーが買い取り、それを履いたイチロー選手が大活躍をしたとのことです。 オリックス時代のイチロー選手のサイン入りスパイクが展示してあります。

 

 

埼玉銀行 

【旧八十五銀行】

 

 現埼玉りそな銀行川越支店。 こちらは大正7年の竣工。 国の登録有形文化財。

 

 

ガス燈 

 

 ガス灯のやさしい光は心が和みます。 夜の写真もとってくればよかったですね。


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり(1)

Category : 埼玉入間のいいところ

 川越市の観光地、菓子屋横丁です。 関東大震災で焼け野原となった東京に代わり、この地で菓子を製造・供給したのが始まりです。

 今では20軒ほどに減ってしまいましたが、休日ともなると観光客や子供たちで賑わいをみせます。

 

菓子屋横丁 

 

 菓子屋横丁に来たら、日本一長い麩菓子を買うのを忘れずに!

 

丸ポスト

 

 これは珍しい、丸ポストとコーラの販売機のツーショット。 このコーラの販売機は、お金を入れたら自分でビンを引っ張るタイプです。 懐かしいです。

 

堀じゃない 

 

大って…  ← 大便する人なんていたんでしょうか?

 

 

時の鐘 

時の鐘

 

 文字通り時を知らせる鐘です。 1630年頃、川越城主・酒井忠勝が建てました。 度重なる火災で何度も再建されて、ときには鐘の鋳造が間に合わずに近所の寺から借りることもあったそうです。今のものは13代目で、1894に再建されたものです。

 昔は人の手で打たれていましたが、現在は機械仕掛けです。

 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

川越氷川神社

Category : 埼玉入間のいいところ

 川越氷川神社です。 さいたま市(大宮市)にある氷川神社が総本社です。

 もともとは、水の神様で転じて農業の神様だったようですが、今では縁結びの神様となってしまったようです。 となりに直営の結婚式場がるのが関係しているのかな?

 

氷川大鳥居

【大鳥居】

 

 木製では日本一の大きさを誇る大鳥居、中央の社号は勝海舟の筆だそう。

 

 

氷川拝殿 

【拝殿】

 

氷川絵馬 

【絵馬のトンネル】

 

 拝殿の脇には、見事なまでの絵馬のトンネル。 こんなのは初めてみました。

ちょっと拝見してみると、子供が無事成長するようにとか、合格祈願の願いが多かったようです。

 

 

氷川頼朝 

【本殿の彫刻】

 

 この彫刻は、源頼朝が鶴を解き放つ様子だそうですが、何の意味があるのでしょうか? 左端は頼朝でしょうね?

 

 

氷川会館へ 

 

 拝殿から、氷川会館へと続く通路です。 氷川神社で式を挙げ、隣の会場で披露宴を行えるようになっています。 こういう大きな神社へ行くと、運が良ければ神前式を挙げているところを見ることができますよね?

 日本人は、教会式よりも神前式のほうが似合うと思うのですが、いかがでしょうか?


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

仙波東照宮

Category : 埼玉入間のいいところ

 喜多院のすぐ近くにある、仙波東照宮です。 仙波とはこの辺りの地名です。

 

仙波東照宮

【随身門】

 

 仁王様がいらっしゃらないですね? スペースはあるのに…  お出かけ中かな? 

 

 

仙波東照宮 (2) 

【拝殿】

 

 狛犬って、普通台座の上に乗ってますよね~? なんか不思議。 この狛犬は江戸城から移されたもので、埼玉では一番古いんだそうです。

 

 

仙波東照宮 (3) 

【本殿】

 

 徳川家康は最初久能山に葬られましたが、遺言によって日光に移されます。 その移動途中に、この川越に寄って四日間法要が営まれたそうです。 それを記念して建立されたのが、この仙波東照宮です。

 それゆえか、日光・久能山・仙波の東照宮を『日本三大東照宮』というそうです。

 

 

 徳川ゆかりの東照宮だけあって、葵の紋がいたるところに… 

 

葵 (5)           狛犬

この紋所が目に入らぬか!                         ははぁーっ!

 

葵           狛犬

この紋所が目に入らぬか!                         ははぁーっ!

 

葵 (4)           狛犬

この紋所が目に入らぬか!                         ははぁーっ!

 

葵 (3)         狛犬

この紋所が目に入らぬか!                          ははぁーっ!

 

葵 (2)            狛犬

この紋所が目に入らぬか!                          ははぁーっ!

 

 

  葵の御紋(三つ葉葵)といえば徳川家の紋でありますが、将軍家と御三家(尾張・紀伊・水戸)しか使わせてもらえなっかったそうです。 御三卿はどうなのでしょうか?

 将軍家の葵も初期よ後期では違うんだそうです。 初期のころは、葉の中の芯?の数が30本くらいあるそうで、後期は13本なんだそうです。

 写真に写っているものを数えたら、皆13本でした。

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

川越城

Category : 埼玉県の城

太田道灌 

【太田道灌像】

 

 川越市役所に建つ太田道灌像です。 この地は川越城の大手門だったところです。 彼が川越城を築城したとされます。

 戦国時代前期の関東地方は、いくつかの上杉氏と古河公方の足利氏の争いだったといっても過言ではないでしょう。 道灌はその上杉氏の内紛に巻き込まれて、殺されてしまいました。

 そうしている間にも南からは北条氏が台頭し、ついにはこの川越城も奪われてしまうのです。 

 

初雁川 

【新河岸川】

 

 かつて川越城の堀だった新河岸川です。 いまは鯉が悠々と泳いでいます。

 

 北条氏が台頭してきた頃の上杉氏は、山内上杉氏と扇谷上杉氏の二氏がこの辺りを牛耳り、そして争っていました。 ですが、川越城を北条氏に奪われたあたりから両上杉氏と古河公方の足利氏は焦りだし、三者はやっと手を組みます。

 そして上杉連合軍は八万の大軍を編成し、川越城を囲みました。 守る北条方の北条綱成はわずか三千。本体の北条氏康の八千の援軍が到着してもわずか一万一千。 しかし、即席で統制がとれてななく、しかも大軍で油断が生じていた連合軍の隙を、北条氏康が見逃すはずもありません。

 氏康が夜襲をかけると連合軍は散々に打ち負かされ、それをみ見た籠城軍の綱成隊も打って出ると、連合軍は慌てふためき、扇谷上杉氏の当主・上杉朝定は討ち死、山内上杉憲政は平井城(群馬県藤岡市)へ逃げ帰り、古河公方の足利晴氏も古河へと敗走したのでした。

 

 

夜戦

【東明寺にある碑】

 

 この戦いの勝利により、北条氏はこの辺りの支配権を確立し、扇谷上杉氏は断絶・山内上杉氏は越後の長尾景虎(上杉謙信)に家督と関東管領職を譲り、足利氏は北条氏康の子供を養子に迎えるという屈辱を受けました。

 話は逸れますが、もともと越後の守護であった上杉氏は山内上杉の血筋で、それを長尾景虎の父である為景が滅ぼし、上杉憲政が景虎に家督を譲ることで、またまた越後の(実質的な)守護職が山内上杉氏に戻ってきたわけですね。 

 それからは、豊臣秀吉によって北条氏が滅亡にあうまで北条方の城となりました。 後に徳川氏の城となり、明治になって廃城となりました。

 

富士見櫓 

 【富士見櫓跡】

 

 ここには、三重の櫓が建っていたそうです。 10年程前から、櫓の再建の話があったはずですが一向に造る気配がありません。 ごらんのように、Welcome to the jungle! 状態です。

 再建されれば、埼玉県初の復元櫓になるはずなのにね。

 

 

川越城本丸御殿 

【本丸御殿】

 

 この本丸御殿は現存です。 もちろん北条氏時代のものではなく、江戸時代になってからのものです。

 御殿が現存している例は他に高知・二条・掛川の三城しかなく、そういう意味では、12基もある現存天守より貴重ですね。 

  今は平成23年までの改修工事期間に入っていて、見学することが出来ません。

 

 

川越城本丸御殿 (2) ←ほらね?

 

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

喜多院に行きたいん?

Category : 埼玉入間のいいところ

喜多院  

 

 先日は埼玉県川越市にある喜多院に行ってきました。 川越市は来年三月からの連続テレビ小説「つばさ」の舞台となっております。 主演は多部未華子ちゃんです。 ムフッ

 

 

天海 

天海像】

 

 天海さんはナゾの多い人物で、喜多院の解説だと会津の高田出身で蘆名氏の血を引くと書かれていましたが、そのほかにもいろいろな説があります。

 足利義晴の子だとか、美濃の遠山氏の出だとか、はたまた明智光秀本人だとか…

 比叡山延暦寺などたくさんの寺を経てこの喜多院に入寺し、徳川家康の参謀として活躍。 後に家康を日光に埋葬したのは確かなようです。

 

 

 山門

【山門】

 

 喜多院で一番古い建物です。 とはいえ、1632年です。 国の重要文化財です。 

 

 

喜多院 (4)

【鐘楼門】

 

  これも国の重文。 銅鐘には、1702年と記録されていますが、楼門自体はもうちょっと古いようです。 写真には撮っていませんが、二階部分の彫刻が美しかったです。

 

 

喜多院 (3)

【慈眼堂】

 

 三代将軍家光の命で建設。 中には天海の木造が安置されています。 覗いてみましたが、よくみえませんでした。 国の重要文化財。

 

 

喜多院 (2)

【多宝塔】

 

 この塔も古い建物でしたが、何回も建て直しているそうです。 国の重要文化財に指定されず、県止まりなのはそのためでしょうか?

 

 

 

本堂

【本堂(慈恵堂)】

 

 看板がジャマですよね。 初詣にはたくさんの参拝客が訪れますので、しかたがないところです。

 

 

喜多院 (5) 

 

喜多院 (6) 

 

 本堂の裏の建物は、江戸城の御殿を移築した客殿・書院・庫裏です。 ここには家光誕生の間や、春日の局化粧の間といった貴重な部屋があります。 写真撮影は禁止なので、お庭の写真で勘弁してください。

 この庭ももう少し時期が早ければ、紅葉が美しかったのに…残念です。

 

 

五百羅漢 

 

五百羅漢 (2) 

【五百羅漢像】

 

 羅漢とは、阿羅漢の略で、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者とういう意味です。  こんだけあると、ちょっと怖いです。

 喜多院の五百羅漢は日本三大五百羅漢の一つということで、あとの二つはどこだろうと調べてみたら、出てくる出てくる三つどころじゃありません。 書き出すのが面倒なのでやめておきます。

 ちなみに、下の写真は今の天皇陛下が皇太子時代に訪れた際、たいへん面白がってご覧になったそうです。 そんなこともあってか、喜多院や川越市のパンフレットなどには必ずこの二体が載っています。

 

 

 

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

琵琶湖東岸の城制覇の旅 ~大津城・膳所城~

Category : 滋賀県の城

 みごとになにもありません。 大津城。あるのは写真の石碑だけ。

 

大津 

 

 以前にも書いたことがあるのですが、私が城を訪ねる時に重要視することが二つあります。 一つは「今そこなにが残っているのか(石垣や建造物など)」。もう一つが「そこでなにがあったのか(合戦やエピソードなど)」なのですが、この大津城では大きな合戦が一つありました。

 時の城主・京極高次は最初は西軍でしたが、後に東軍へと寝返ります。そしてこの大津城に篭城しました。そこで西軍の実質的な総大将・石田三成君は、こんなチッポケな城などほっておけばよいものを、毛利元康・立花宗茂に命じて攻めさせたのです。

 結局この城を攻め落とすのに手間どり、彼ら二将は関ヶ原の本戦に間に合わなかったのです。特に猛将として名高い立花宗茂が間に合わなかったのは、西軍として痛手でした。

 その功により、京極高次は若狭小浜に8万5000石を与えられるのでした。 Yes,we can!

 

 もはや東岸ではないですが、ここ大津城跡の石碑は浜大津駅前の歩道橋の袂にあります。 以前はこの辺りまで琵琶湖の水があったそうですが、数百メートルも埋め立てられてしまいました。そのときに大津城の石垣などの遺構も発見されました。

 ちなみに、ここの天守の材料は彦根城へと移築されたことが最近わかったようです。

 

 

 江戸時代に入ると、大津城は廃され浜大津の港町として発展しました。そのかわり、近くに膳所城(ぜぜじょう)が築城されます。

 

膳所 

膳所城遠景】

 

 徳川家康が藤堂高虎に命じ築城させたものです。 湖面に映る天守がとても美しかったそうです。

 そういえば、琵琶湖湖水4城といわれた、長浜・膳所・大津・坂本城の遺構はほとんど全滅ですね。本当の水城というものを見てみたいものです。

 

膳所 (5)

膳所城ニセ大手門】

 

 この門は模擬ですが、近所の神社や寺に移築されいまでもいくつか残っているそうです。 一つくらい見てくればよかったと後悔しています。

 

 

膳所 (2) 

膳所城天守跡】

 

 ここには、四重の天守が建っていました。 明治になり、いち早く取り壊されてしまったそうです。

 

 この膳所城は近江大橋を大津方面へと渡り、南へ向かうとすぐにあります。 駐車場は大手門の道路を挟んですぐ目の前にありますが、看板が小さくてわかりにくいので注意してください。

 

 結局このときの旅は最後まで雨に悩まされました。おかげで予定に入れていた、観音寺城・佐和山城には行けなっかたですし、小谷城・安土城も満足に見学できませんでした。 リベンジはいつになることやら…

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

割れている、お尻のように。

Category : 群馬県のいいところ

 東洋のナイアガラといわれる「吹割れの滝」にやってきました。

 

吹割 

 

 国道120号沿いのお土産屋の駐車場に車を止めて、そこから反時計回りに遊歩道を歩きます。ご覧のつり橋で、川の西側へ。

 

 

吹割遊歩道 

 

 遊歩道をえっちらおっちら歩いていくと、上から滝の全貌を見ることが出来ます。

 

第一観瀑台 

第二観瀑台 

第三観瀑台 

 

 遊歩道沿いに三つの観瀑台があり、上から第一・第二・第三観瀑台からの眺めです。

 

 下へ下ります。

 

商店街? 

 

 途中、怪しい商店街が。 つめっこ汁って???

 

 

岩肌 

 

 迫り来る岩肌!

 

 

吹割 (6) 

 

川沿いの遊歩道はこんな感じ。

 

 

吹割 (5) 

 

 吹割の滝近影。 写真を撮ろうと近づきすぎて、下に落ちる人もいるそうです。 

 

 

吹割 (8) 

 

元へ戻ってきました。 奥に見える橋が、最初に渡った橋です。

 まだ水量が少なく、数年前に見たときよりは迫力がありませんでした。 やはり、雪解けの時期がベストでしょうか?

 この滝は、東洋のナイアガラと呼ばれ、日本名瀑100選にも選ばれています。 数年前には、大河ドラマのオープニング映像にも使われました。

 

 尾瀬や、武尊から沼田市街への通り道にあるのでみなさんも立ち寄って見てはいかがでしょう?

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

テーマ : ちょっとおでかけ
ジャンル : 旅行

琵琶湖東岸の城制覇の旅 ~近江八幡城~

Category : 滋賀県の城

 続いては、近江商人発祥の地、近江八幡城です。

近江八幡

【瑞龍寺山門】

 

 本丸跡に建つ瑞龍寺の山門です。この寺は豊臣秀次の母が開山した尼寺ですが、もともとは京都にありました。それを明治になってから、秀次ゆかりのこの城に移転させたものです。

 本丸までは麓からあるいて一時間ほどかかりますが、ロープウエイがあるので簡単に行けます。

 

近江八幡石垣 

【石垣】

 

 まだ戦国末期の完成されていない石垣。造りが荒っぽいですね。

 

 この城は豊臣秀吉の甥で後に養子となった豊臣秀次(wiki)が建てました。 彼が四国攻めの時功績をあげて、この地を秀吉からもらったときです。 城下町は安土からそっくりそのまま移転させ、櫓などもここに移築させたようです。

 秀次は、この城の防御と水運利用とを兼ねた「八幡堀」を整備しました。 この堀のおかげでこの町は大きく発展し、江戸時代には一大商業都市となったのです。

 秀次は世間ではバカ呼ばわりされて(?)いますが、この地では今でも「近江八幡を開いた人物」として、慕われているようです。

 秀吉の親戚に生まれていなければ、もっと穏やかな人生が送れたでしょうにね。

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

天地人、花に背いて北へ帰る(1)

Category : 天地人

 篤姫、終わってしまいました。 初めの頃は、青春ホームドラマと見間違うくらいの内容に先が不安になりましたが、斉彬や尚五郎(小松帯刀)が於一(篤姫の幼名)の魅力に引き込まれていったように、私もどんどんと引き込まれていったのでした。

 たぶん、宮崎あおいさんじゃなかったらあの篤姫にはならなかったんだと思いますし、逆にハマリ役だっただけにあおいさんはこの篤姫からの脱却に相当苦労するんではなかろうかとも思います。

 かつて、独眼竜政宗で伊達政宗を演じた渡辺謙さんも政宗からの脱却には苦労したようで、私個人のなかではまだ政宗から脱却できていません。

 

 とにもかくにも、一年間ご苦労様、そしてありがとうございました、と言いたいのでした。

 

直江兼続 

 

 そして来年からは「天地人」が始まります。 上杉謙信の養子となり跡を継いだ、上杉景勝の家臣・直江兼続の物語です。

 予告によると、兼続5才の1564年から始まるようですね。 昨年の大河ドラマ「風林火山」で山本勘助が亡くなった第四次川中島合戦から三年後のことです。第五次川中島合戦が行われた年でもあります。

 ちなみに主人の景勝は10歳。謙信は35歳です。

 なぜ、この年から始まるかというと、景勝にとって衝撃的な出来事があったからでしょう。 その衝撃的な出来事が、予告でもあった景勝が謙信を短刀で刺すシーンに繋がるのです。たぶんね…

 

  初回は来年一月四日、放送時間延長でお送りします。お楽しみに! (NHKの回し者かよ)

 

 

 


にほんブログ村 歴史ブログへ

吉見観音

Category : 埼玉比企のいいところ

吉見観音2 

 

 岩殿山安楽寺(通称・吉見観音)です。八丁湖のすぐ近くにあります。 

 

吉見山門 

 

山門(仁王門)です。オレンジの部分は最近塗り替えたようです。

 

 

吉見観音3 

【本堂】

 

 

吉見観音5 

【本堂】

 

 

吉見観音4 

【三重塔】

 

手前に見える松は、三笠宮殿下(今上天皇の叔父さん)のお手植えだそうです。

 

 この吉見観音は、8世紀頃の開山だそうで、源頼朝の異母弟・範頼がこの地を領したときに再興したそうです。 ここには範頼の屋敷を「御所」と呼んだことから、今でも御所という地名が残っています。

 

 ここも、上杉憲政と北条氏康が武蔵松山城を取り合っているときに焼けてしまいました。いまある建築物は江戸時代の再建だそうです。

 

 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

丸沼

Category : 群馬県のいいところ

先日、丸沼スキー場へ初滑りに行ってきました。

 

丸沼 

【晴天の丸沼スキー場】

 

 

 まだ雪は少なかったですが、快適な初滑りでした。 群馬ではまだオープンしているスキー場は少なく、この丸沼にお客さんが集中したようで、平日にもかかわらずリフトには行列ができていました。

 

丸沼ダム (3) 

 

スキーのあとはこちらへ、

 

丸沼ダム 

 

 重要文化財の丸沼ダム。 スキー場から、少し栃木側に向かったところにあります。 以前から気になっていたので寄ってみました。

よくわかりませんが、この形(工法?)が貴重なんだそうで。

 

丸沼ダム (2) 

 

 一般の人はこれ以上は入れません。

 以前はこのダム湖の下に『丸沼』がありました。その丸沼の水を増やしたのが今の丸沼でしょうか?

 

サエラ入り口付近 

 

 ダムから川を下っていくとこんなかんじ。 さらに下ると、あの東洋のナイアガラがあります。

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

テーマ : ちょっとおでかけ
ジャンル : 旅行

八丁湖

Category : 埼玉比企のいいところ

 先日は子供のころよく遊びに行った、埼玉県吉見町にある八丁湖(はっちょうこ)に行ってきました。江戸時代に灌漑用として作られた溜池です。            

 

八丁湖 

 

 ちなみに上の写真の向こうは武蔵松山城です。信玄や謙信もこの風景を見たでしょうか? あ、江戸時代に作られたんでしたっけ…

 

八丁湖3 

 

 中途半端な時期に来てしまいました。春はここは桜がきれいで、紫陽花の名所でもあるので時期が時期ならかなりの賑わいをみせます。 私が子供のころには、貸しボートもあったんですが、経営不振でいまは休業中だそうです。 どこもきびしいですね?

 

八丁湖2 

 

八丁湖4 

 

マガモですよね?

貸しボートが無くなった分、悠々と泳いでいるようでした。

 

 

ネコちゃんの写真を撮ってみました。→八丁湖の猫

 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

白鳥の話

Category : 埼玉比企のいいところ

 埼玉県には三つの白鳥飛来地があります。 深谷市・寄居町の荒川と川島町の越辺(おっぺ)川です。

先日は川島町のほうへ行ってきました。

 

川島白鳥 

【遠景】

 

 埼玉県の白鳥飛来地では、今まで餌付けをしていたのを止めてしまったそうです。 糞や食べ残しによる環境破壊、それに伴う生態系の変化。 そして、鳥インフルエンザの感染の懸念によるものだそうです。

 

 

川島白鳥2 

【カメラを構えるおじさん】

 

あ、私もおじさんだ。 

 餌付けに慣れている白鳥は、人間を恐れず逆に近づいてきたりします。まるで公園の鳩のように…

 

 

川島白鳥3 

 

川島白鳥5 

 

川島白鳥4 

 

 動いているものを撮るのは難しいですね。 しかも望遠が無いから大きく撮れません。 最後の写真は、右端のだけこっちを向いていてなんかかわいいな。

 餌付けをしていたころは100羽は飛来していたそうですが、この日は20羽くらいでした。数が少ないのは残念ですが、本来あるべき姿に戻したんだからしょうがないですね。

 この日いた白鳥も、餌がもらえないとわかれば、他へいってしまうかもしれません。

 

 

川島白鳥6 

【遠景】

 

この日は雲が多く、きれいな夕日は見られませんでした。 大きく見える左側の鉄塔の少し右には、富士山がうっすらと見えます。 うまくすれば、夕日と富士山と白鳥の素晴らしい画が撮れるかもしれません。 どっちにしろ、鉄塔が邪魔ですね。


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

岩殿観音の紅葉は、まだ終わっていなかった(2)

Category : 埼玉比企のいいところ

 

岩殿観音

【観音堂】

 

 秀吉が天下を統一し、このあたりは徳川領となります。 この岩殿観音も徳川家康から寺領として25石を与えられ一安心。 

 

 

岩殿観音2 

 

岩殿観音3 

 

 この観音堂は明治時代に建て替えられたものですが、本尊の千手観音は室町時代のものらしいです。

 

 

岩殿観音4 

 

 この日は私のほかに写真を撮っている人は3人ほどいました。みんなデジイチで三脚付きでしたけどね。

 

岩殿観音5 

 

 もうちょっと、黄色い部分が暗いほうが良いかな? しかしこの絨毯すばらしかったっす。

 

岩殿観音6 

 

 写っている銀杏の木は樹齢300年以上です。もっと根元のアップとか写しておけばよかったですね。

 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

琵琶湖東岸の城制覇の旅 ~安土城~

Category : 滋賀県の城

 姫路城や彦根城もよいけれど、この安土城のように石垣しか残っておらず「兵共が夢の跡」を実感させられるような城跡が私は大好きであります。

 

 この旅行は、この安土城が一つの目標でもありました。しかし、彦根に続きこの日も雨。しかも台風でも接近してるかと思うような暴風雨でした。

 でもなんと、安土に到着するやいなや嘘のように雨が止んだのです!

これは、神様か、信長様が降臨したに違いない! チャンスとばかりに、急いで登城したのです。

 入り口でお姉さんに入城料を払い中に入ると、目の前には広くて長い大手道。

 

安土 

【大手道】

 

 麓から、約130m続く大手道。両脇には家臣たちの屋敷が構えられていたといいます。

 

 

安土城 (3)

【本丸へ】 

 

また降ってきそうなので(相変わらず風は強い201) 急いで登ります。

 

 

安土城 (2) 

【黒金門跡?】

 

本丸入り口の門だったか?

 

 

 

安土城天守へ

【天主へ】 

 

安土城天守入口

【天主入り口】 

 

天守でなくて、天主です。

 

 

安土城天守の礎石

【天主礎石群】 

 

 天主の礎石群。今でいう「基礎」です。この石の大きさや数で上に建っていた建築物のおおよその大きさがわかるんだそうです。

 

 

安土城天守からの眺め 

【天主跡からの眺め】

 

 奥のほうに琵琶湖が見えます。信長の時代には、この安土城が建っていた山は琵琶湖に半島状に突き出ていましたが、今は回りは埋め立てられてしまいました。信長が見ていた景色とはちょっと違うわけですね。

 

 ご存知安土城は、1579年織田信長によって建てられました。しかし、三年後の1582年に本能寺の変が起こると、信長の三男の信雄がなぜか火を放ち焼け落ちてしまいました。(他の説もあり)

 とはいえ、焼け落ちたのは天主付近のみで、他の建物は近江八幡→大津→彦根へと移転していると書いた資料もあります。

 

 天主から離れようとしたらまた雨が降ってきてしまいました。 退却だー!

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

岩殿観音の紅葉は、まだ終わっていなかった(1)

Category : 埼玉比企のいいところ

 

 本日は埼玉県東松山市にある岩殿観音へやってきました。 ラグビーや箱根駅伝で有名な、大東文化大学東松山校舎のすぐ近くにあります。

 

岩殿三門 

【三門(山門)】

 

 岩殿観音(巖殿山正法寺)は718年開山で、一度廃れてしまったのですが源頼朝の命令で比企能員が復興させたそうです。 かなり歴史がありますね。 この山門はいつのものかはわかりません。

 

 

御触れ 

【名称は忘れました】

 

 この札には「この付近の草木は取ってはいけません」と書いてあるそうです。 戦国時代の武蔵松山城主・上田朝直が立てたもののレプリカです。彼は自然の大切さを知っていたのでしょうか?それとも他に意味が?

 武蔵松山城といえば、上杉・武田・北条が奪い合った城として有名です。 秀吉の北条攻めの時には、前田利家・上杉景勝・真田昌幸と豪華なメンバーがこの城を囲みました。

 もちろん、直江兼続や真田幸村もいたそうです。 いずれこの城を紹介する機会もあるでしょう。

 

 話が逸れてしまいました。 因みに、上田朝直は元々は上杉家臣(謙信じゃないよ)でしたが、後に北条家臣となりました。

 

 

鐘 

【銅鐘】

 

 話は逸れていませんでした。 この鐘は秀吉の北条攻めの時に、周辺の山中を皆で引きずりながら鳴らし回ったそうです。 そのときに付いた傷が今でも残っているそうです。

 

 

岩殿観音から 

【門前町と周辺の山】

 

 下に見える集落は門前町です。 かつては栄えていたのでしょうが、いまではお世辞にも…

 昭和の香りがプンプンしました。

 

 

岩殿観音の紅葉 

【黄色い絨毯】

 

 本編はこれからです。 つづく…

 


にほんブログ村 地域生活(街) 関東ブログ 埼玉 その他の街情報へ

タイトルは無い

Category : 日記

 このブログのテンプレートを変えてみました。バックが黒っぽいほうが写真が映えるかなと感じたためですがいかがでしょう?

 ま、たいした写真なんてないんですけどね~

 

 それと、用心棒を雇ったので注意してください。コイツすぐにキレるんで…

 

 

NEC_0135.jpg 

浜松駅前のツリー】

 

 一昨年に行った東海道の城を攻略する旅の時の写真です。あのとき食べたウナギはうまかったな~。

 東海道を旅したときの写真も残っているので、機会があれば紹介していきたいと思います。

 

今日はこのくらいで…

 

 



にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へ

琵琶湖東岸の城制覇の旅 ~彦根城~

Category : 滋賀県の城

 続いては、彦根城。 数多くの江戸幕府大老を輩出した井伊家の居城ですが、最近ではひこにゃんが有名ですね?

 JR彦根駅から15分ほどのところにあります。ここも姫路城ほどではありませんが、数多くの現存建築物があることで有名です。

 

彦根 (2) 

彦根城中掘】

 

 彦根城中掘りの石垣。水面あたりの石垣が腰巻石垣、その上には土塁があって、その上の石垣が鉢巻石垣といいます。 江戸城でも、このようなつくりの石垣が見られます。

 

 

彦根 

【表門から太鼓丸へ】

 

彦根天秤櫓 (2) 

彦根城天秤櫓】

 

 太鼓丸は、本丸手前の重要な郭です。その郭の入り口にある天秤櫓および櫓門です。上から見ると「コ」のじのように見え、両隅には二階建ての櫓を配して真ん中に門が開くという珍しい構造です。 もちろん現存(重要文化財)です。

 

 

彦根天守 (3) 

彦根城天守】

 

 現存12城で国宝4城のうちのひとつ、彦根城天守です。こじんまりとしてはいますが、たくさんの破風や色使いが一層煌びやかを増しています。

 この天守は滋賀県大津市にあった大津城から移築したものと伝えられています。

 

 

玄宮園と彦根天守 

玄宮園からの天守】

 

庭園・玄宮園と彦根城天守。

 

 私が彦根を訪れた日は生憎の雨模様で、写真もご覧の有様。そのかわり、博物館内ではあのひこにゃんに会うことができました。(写真が残っていなくてすいません…)晴れた日には、天守前広場にいるそうですが、この日は雨でしたので、たまたま博物館内にいたのでした。 なんかクネクネしててかわいかったです176

 

 

 

 

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

6日間しかない日本のサラリーマンの夏休みで現存12城を一気に訪ねる方法

Category : 日記

 表題のように、長い休みが正月とお盆しか取れなく、その休みで現存12城を一気に「マイカーで」回りたい人のために(そんな人はいないとおもうけど)試しに考えてみました。

 出発は埼玉で、基本はマイカーのみ。 夜は必ず宿泊施設に泊り(一晩中運転するようなことはしない)、城の見学は天守に入るのみとします。

 尚、移動時間はGoogle Mapで計算をしました。

 

 

 

【一日目】

 

 というより、前日です。 仕事は定時に切り上げて川崎港へ向かいます。高知港経由の宮崎行きのフェリーに乗るためです。

 このフェリーは夜中の12時出発なので、18時に退社し一旦家に帰り夕飯を食べてから出てもも遅くは無いでしょう。

 

 半日をかけて、高知港に到着です。 ここから高知城までは30分とかかりません。この時点で時間は12:30です。ここから次の目的地宇和島までは4時間かかるので、16:30閉館の宇和島城天守閣に入ることは無理です。 なので城以外の観光地(桂浜・竜馬博物館など)に寄るのもいいでしょう。

 観光を終えたら、宇和島まで移動です。ここでは瀬戸内の魚介類でも堪能し、ゆっくり休みましょう。

 

 

【二日目】

 

 朝一で宇和島城を見学しましょう。天守閣は9:00開館なので、それまでは周辺の遺構を散策することをお勧めします。

 9:30に出発をすると、伊予松山城には11:30に到着します。ここは宇和島城とは違い、観光客がたくさんいて、リフト乗り場で行列待ちなんてこともあるので注意です。

 道後温泉には目もくれず、次の目的地丸亀に移動。高速道路があるので便利ですが、それでも2時間はかかります。もう15:00前ですが、昼食をとってはいけません。讃岐うどんの誘惑に負けないようにしましょう。時間が無いのです。

 丸亀城の高石垣の素晴らしさに感動したら、岡山に移動です。2時間で岡山県高梁市に到着です。

 備中松山城の開館時間は17:30までなので、時間との勝負です。ここで負けてはいけません、山城なので体力に自信の無い方はここでリタイヤしてください。 

 この日は松江まで移動して終了です。 宍道湖名物しじみ汁でも飲んで、ゆっくり休んでください。 21:00以降に営業している店があるかは不明ですが…

 

 

【三日目】

 

 松江城は8:30から入れます。寝坊さえしなければ、世界遺産の姫路城には12:00には到着出来るはずです。 ここは丸一日かけて見学したいところですが、じっと我慢の子であってください。17:00閉館の丸岡城に間に合わせなければいけないのですから。

姫路城天守 

姫路城天守】

 

20080729000504.jpg 

丸岡城天守】

 

 見学えを終えたら、隣の食堂で越前そばを食べてから彦根に移動です。2時間ほどしかかからないので、近江牛のステーキを食べる時間もあると思います。

 

 

【四日目】

 

 彦根城の開館時間も8:30です。 ひこにゃんと戯れてさえいなければ、9:00には出発し11:00には犬山城に到着できるでしょう。

彦根天守 (3) 

彦根城天守】

 

 次の目的地の松本城は16:30までです。13:00に出発できれば余裕でしょう。なぜか犬山名物のきびだんごを食べる時間もありそうです。

 

 

【五日目】

 

 残りは一城のみ。 この日は移動だけです。松本から弘前まで11時間もかかるのですから。

前日に途中まで移動しておくのも、一つの手ですね。

 

 

【六日目】

 

 どちらにせよ、次の日は仕事なのですからこの日のうちに帰らなければなりません。 埼玉までは9時間かかるので、その時間を考慮して弘前城の見学時間・出発時間を決めましょう。

 

 

※実際以上のように行動しようとしたら、かなりの無理が生じます。旅行は余裕をもってしっかり計画するようにしましょう。

 クレームは一切受け付けませんのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へ

→続きを読む

琵琶湖東岸の城制覇の旅 ~小谷城~

Category : 滋賀県の城

 続いての琵琶湖東岸の城址は、悲劇の武将浅井長政の居城小谷城です。

 長政のおじいさんの亮政という人がかなりのやり手で、京極氏の家臣にすぎなかった浅井氏が戦国大名として独立できたのも彼のおかげです。 その亮政が本拠地として選んだのがこの小谷城です。

  

小谷城 

【小谷城址石碑】

 

 孫の長政は、織田信長の妹の市を嫁にもらい、織田家と同盟を組みます。そのときのオプションとして祖父の代から恩のある朝倉家には手をださないという条件が付け加えられました。 でも結局は信長包囲網に加担をしていた朝倉家を信長が攻めるかたちとなり、約束を破られた浅井家は朝倉家に味方をするのでした。

 

20081101013309.jpg 

【小谷城本丸】

 

 姉川の戦いで浅井・朝倉軍がボロ負けした後、味方の比叡山が壊滅にされたり、頼みの綱であった武田信玄の死などもあり、浅井・朝倉軍は孤立し両家ともに織田信長に滅ぼされてしまいました。

 この城は羽柴秀吉に与えられますが、時代遅れの山城を捨て長浜に築城した後、この小谷城は廃城となりました。

 

 

20081031235729.jpg

【小谷城本丸石垣】

 

 長浜市の少し北、湖北町にあります。かなり山奥にありますが、有名な城のせいか途中まで車でいけます。

 時間と体力が許すなら、麓から徒歩で登っていくことをお勧めします。 もちろん(?)私は、車で登りました。

 しかもこの日は雨が降っていて、あまり整備がされていない山城散策は気が進まず、本丸の写真を撮っただけで帰ってきてしまいました。

 

 リベンジは必至です。

 

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

明石家さんまの「明石」はここからきているのか?

Category : 兵庫県の城

姫路行き 

【赤穂線姫路行き】

 

 続きましては、明石です。 播州赤穂駅から赤穂線に乗り、一旦姫路に戻ります。姫路で山陽本線に乗り換え明石駅へ。 約一時間ほどで到着です。

 そういえば、関西でもスイカが使えるのですね? 便利な世の中になったもんです。切符切りの「カチカチッ」という音が聞けないのは寂しいですが…

 

 

明石駅前  

明石城の中掘】

 

明石駅北口を出るとこんな光景が。エキチカ(駅近)城址は便利ですね。

 

 

中堀 

明石城中堀】

 

僕は空と堀の青の違いで泣いたりする。(二回目)

 

 

両櫓 

【坤櫓と巽櫓】

 

 左側の櫓が坤櫓(ひつじさるやぐら)、右側が巽櫓(たつみやぐら)です。 現存です。

 坤は南西・巽は南東を意味し、北東には艮櫓・北西には乾櫓がありましたが、現在は消滅してしまっています。

 土日には内部公開されているようですが、私が行ったのは平日でしたので入れませんでした。

 

 この二つの櫓は阪神大震災時に石垣と共に崩れかけましたが、平成12年に補修工事を終えてかつての雄姿がよみがえったそうです。

 

 

ひつじさる 

【坤櫓(ひつじさるやぐら)】

 

ひつじさる2 

【坤櫓(ひつじさるやぐら)】

 

巽 

【巽櫓(たつみやぐら)】

 

巽2 

【巽櫓(たつみやぐら)】

 

両櫓の近影です。 すぐ上の写真の奥に見える橋は、明石海峡大橋でしょうか?

 

 

天守台 

【天守台】

 

天守台2 

【天守台】

 

かなり大きな天守台。 しかしここにも天守があがることはありませんでした。

 

 

天守台から未申 

【天守台からの坤櫓】

 

 この城は代々徳川譜代の人物が城主を務め、そもそも築城時も幕府の命令で西国の押さえのために造られたわけですので、天守があっても良かったと思うのですがね。

 

 

織田家 

織田家長屋門】

 

 明石藩松平家の家老を務めた織田家の長屋門です。この織田家は織田信長の叔父・織田信康の家系だそうです。 

 織田信康と聞いて、城ファンとして思い出さなくてはいけないのが犬山城です。現存12城の一つの犬山城を築城したのがこの織田信康といわれています。

 

 そういえば、今回の旅は現存12城を訪ねる旅のうちのひとつだったわけですが、まだ犬山城には行っていません。姫路城でやっと8城を終えたところです。まだまだ先は長いですね。

 計画では、再来年の平成20年には終わらせるつもりですが、それまでこのブログを飽きずに続けられていればいいですね。

 

 

今回の旅はこれで終わりです。

 

 

 

 

 

 

 

 



にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

プロフィール

四十路

Author:四十路
戦国時代と城址巡りとラーメンが好きなアラフォーです。

Instagram
Instagram
FC2 ランキング

FC2Blog Ranking

にほんブログ村ランキング
にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へ
にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
 

ブログ村ランキング参加中!

上のバナーか記事中のバナーをポチッとしてくれたら泣いて喜びます。
カレンダー
11 | 2008/12 | 01
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
おきにいり
最近のトラックバック
3D球体タグクラウド
ブログ内検索
Thanks!
私の本棚
美女暦
埼玉時計

神戸市の税理士
電力使用状況&電気予報
頑張ろう、日本!
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして 東北地方太平洋沖地震 義援金  
ネコ派 vs イヌ派
バトルブログパーツ: イヌ派vsネコ派
猫 侍
猫侍
真田丸
官兵衛
おんな城主 直虎
八重の桜
QRコード
QR