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天地人、花に背いて北へ帰る(28)

Category : 天地人

天地人 第26回『関白を叱る』

 

  秀吉を叱るって、兼続が叱るわけじゃないのですね? 

 兼続が秀吉の誘いを断るときに叱るのかと思って期待していたのに裏切られましたね。 そうだ、この大河は期待しちゃいけないんだった…

 結局叱ったのは北政所さんだったというのがオチでしたとさっ。

 

天地人0628 

【猿と狸の化かし合い】

 

 上の画像の陣羽織のエピソードは良く聞く話ですよね。 前日の夜に密かに二人で打ち合わせをしたとか。 いわゆる『やらせ』ですよね。 だからあのような猿芝居になったわけなんですね。

 あのエピソードをやるなら、もっと家康が上洛するまでのすったもんだをやればよかったのにとおもいますよ。 それが出来なくとも、朝日姫の説明くらいしてほしかったですね。

 しかも朝日姫のことをばかにしすぎです。 あのころはまだ家康上洛前の緊迫していた頃のはずで、あんなコントみたいなことをしている暇はないはずです。 仮にも『正室』ですしね。

 

 さて、来週は越後に戻り、いつのまにか新発田・佐渡を制圧し、愛だの恋だのと学園祭コントが再開するようです。 あ、店長も再登場?

 

ではまた…


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中国遠征記 ~日本三名園の一つ、後楽園~

Category : 岡山県のいいところ

 月見橋を渡るとすぐ後楽園の南口ですが、せっかくだから正面から入ります。

 

 

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 後楽園といえば、日本三名園のひとつですね。 ほかの二つは、金沢兼六園・水戸偕楽園です。 これで私は三名園制覇です。

 

 

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 この後楽園は岡山藩主・池田綱政が、1700年に完成させました。 当時は後園と呼ばれていましたが、『先憂後楽』の精神に基づいて造られていることから、明治になって『後楽園』と改名したそうです。 

 

 

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 藩主がここを訪れた際に、居間として使用された『延養亭』

 入り口からすぐのところにあります。 

 

 

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写真撮影の定番スポットです。 沢の池越しの天守が美しいですね。 一応池にも天守が写っています。

 順番待ちをして撮影しましたよ。

 

 

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 その沢の池に浮かぶ、中の島。 

 

 

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 あら、これも中の島だ。 

 

 

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 左側は山(岡?)になっています。唯心山と言うそうです。 

 

 

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唯心山へと続く… 

 

 

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 ここは廉池軒といって、池田綱政が最も好んで使用した建物だそうです。 

 

 ここから南門はすぐ近くなのでそこから出ました。 それから私は駅前でお土産を買い、この日のお宿がある隣の街へ向かったのでした。

 


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中国遠征記 ~古式漂うカラスの天守、岡山城(2)~

Category : 岡山県の城

  岡山城の続きです。

 もともとここには小さな城があったのですが、金光宗高が城主の時に戦国の梟雄・宇喜多直家によって奪われ、彼によって新たに築城されたのが始まりとされます。

 この黒い天守は『烏(う)城』とか『烏(カラス)城』とか呼ばれますが、私は宇喜多直家の狡賢さから『カラス』でいいような気がしています。 まぁ、この天守は直家が建てたわけではないんですけど…

 その直家の息子の秀家が城主となった時に大改築を行い、今の縄張りに近いものとなったようです。 天守はこのときのものらしいですね。

 ちなみに秀家は豊臣秀吉の嗣子となり、たいへんに秀吉から可愛がられたという縁もあって(母親 つまり直家の後家さんがとても美しく、秀吉の側室になった縁もある)、関ヶ原では西軍につきます。 そのせいで岡山は取り上げられ、八丈島に配流となってしまいます。

 その後、関ヶ原で功(?)のあった小早川秀秋がここに入り、二年後に急死。 子が無かったために小早川家は断絶、代わりに姫路城主・池田輝政の次男の系統の池田氏が入り明治を迎えます。

 

 

岡山城天守 

 その『カラス』といわれた岡山城天守。 この天守は安土城を手本としたと伝えられますが、宇喜多秀家が秀吉のもとで暮らしたこともあることから、大阪城を手本としたと思われます。

 大変申し訳ないのですが、この天守の私の第一印象は…

『プラモデルみたい』

 岡山城は、戦前までは『現存天守』でした。そのため、資料が豊富にあったため、本物の天守を忠実に再現されているようです。

 

岡山城天守より

 その天守から見た岡山市街 

 

 

岡山城天守より (2)

 金シャチの向こうに見えるのは、後楽園です。

 

 

廊下門

これも復元の廊下門です。 

ここを出ると、天守の裏側です。

 

 

天守台

 この岡山城の天守台は五角形なんです。 この写真はその五角形の一番鈍角の部分です。

 四角形以外の天守台は、ここ岡山と安土だけです。 これもこの岡山が安土城を手本としたとされる所以ですね。

 

 そろそろ城址公園を出ます…

 

 

  

月見橋

 旭川に架かる、月見橋。 ここを渡ると後楽園です。 江戸時代には橋は無く、渡し舟があったそうです。

 

 

 この橋を渡る途中で、後ろを振り返ると…

 

月見橋より

岡山城は、この角度が一番絵になりますかね? 

  

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(27)

Category : 天地人

天地人 第25回 『天下人の誘惑』

 

 初音タン、クビじゃなかったですね。

 それにしても真田昌幸、北条にまで人質を送っていたとは。 ありえませんな。 いくら昌幸が表裏比興のものとはいえ、今頃北条と手を結ぶなんてあるのでしょうか? ないですね?

 

 幸村が豊臣家の人質となったのは事実ですが、上杉家と豊臣家でどんなやり取りがあったかは知りません。

 景勝が上洛している隙に、幸村を秀吉のところへ送ったなんてことはよくきく話ですが、ちゃんとした話し合いがあったと思いますよ。

 それじゃドラマにならないか?

 

 そういえば、先日サントリー美術館に天地人展を見に行ったとき『天正十四年上洛日帳写』というものが展示してありました。

 これは上杉景勝が、天正十四年(1586年)に上洛した時の日記で、まさにタイムリーなものです。 この書物を現代語訳したものは無いんでしょうか? 読んでみたいですよね~。

 まさか、千利休の娘が福島正則を投げ飛ばしたなんて記述なんかないでしょうね?

 

 天地人0621

【愚直を極めた男】 

 

 それにしても今夜の景勝(特に後半)はまさに『男』でした。 利休との会話といい、全ての責めはわしが負うと誓った兼続との会話といい、やはり私の景勝のイメージはああいう男です。

 あんな対人恐怖症みたいな男に描かれては困ります。 来週からもあんなイメージでお願いしますよ!

 

 ではまた…

 


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中国遠征記 ~古式漂うカラスの天守、岡山城(1)~

Category : 岡山県の城

  中国遠征記の再開です。 続いては岡山城です。

 

 

岡山城外濠

 大手門付近の濠。 このあたりは岡山の観光地『後楽園』とは真逆にあたり、観光客も少なめです。

皆さんは後楽園→ついでに岡山城というコースが多いようです。

 

 

岡山城

 公園入り口。 別名烏城とも呼ばれました。 それはこれから紹介する、天守の色からきているのですね。 

 

 

岡山城 (2)

 入り口から進むと高石垣が現れます。 

 この城は三期に渡って工事が行われたらしいのですが、この石垣は二期目の小早川氏の時の石垣らしいです。

 ちなみにオレンジの部分は空襲の時にできたそうです。

 

 

岡山城 (3)

 鉄門跡だったかな? 

 

 

岡山城月見櫓

 城内に唯一残る現存建築物『月見櫓』。 この櫓は三期目の池田氏時代のもの。 

 

 

岡山城月見櫓 (2)

 その月見櫓を表から見ました。 この周りには木々が生い茂っていて、櫓全体が収まるアングルがここしかありませんでした。 

 せっかくの現存なんだから、もっとどうにかしてほしいものです。

 

 じつは、城址公園から少し離れた場所にもう一つ現存櫓があるのですが、不覚にも見学してくるのを忘れてしまいました。

 もう一度訪れる口実になったと思えば、諦められますかね…

 

 

岡山城 門

 復元の不明門です。 これをくぐればいよいよ天守です。 

 

つづく…

 

 

 

岡山城縄張り 

大きくなるので、参考にしてみてください。

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(26)

Category : 天地人

 今日は大河ドラマの感想ではありません。 田舎者が、勇気をふりしぼってこちらへ行ってきました。

 

 

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六本木です 

 

 

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 六本木ヒルズではないですよ。 東京ミッドタウンです。 

 

 

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ほらね。

 

このあたりはおしゃれな人がたくさんいて、すれ違う女の人すべてがキレイに見えました。(言いすぎかな?) 

どっちにしろ、私のような人が来る場所ではないですよね。

 

この東京ミッドタウンは、江戸時代は毛利藩邸でした。 その後、陸軍の敷地となり戦後はGHQに取り上げられたりもしました。 その後、日本に返還された後は最近まで防衛省がありました。

 その防衛省が移転するにあたり、この広大な敷地は三井不動産他が買い上げて今に至るのです。

 

 

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 そんな東京ミッドタウンに埼玉の田舎者がなにをしに来たかというと…

 

 

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これですよ、これ。

 

  ミッドタウン内にあるサントリー美術館で、天地人展をやっているというので行ってきたのですよ。

 いやぁ~、楽しかったですね。 例の愛の兜はレプリカの展示でしたが、いつもはいろいろなところで展示してある上杉関連の宝物が、一つの場所で見ることができるなんてめったにありませんからね。

 

 以下、私が気に入ったものを少し紹介します。 もちろん、展示物は撮影禁止なので、写真なんかはありませんよ。

 

浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足 

   実際に兼続が長谷堂合戦で着たといわれているものなのだけに、なんだか妙に存在感がありました。

 

・太刀 姫鶴一文字  長船長光 

   太刀マニアの景勝所有の太刀です。 二振り共に鎌倉時代のものとは思えないくらいにキレイでした。  

  景勝公御手撰三十五腰のうちの二振りだそうです。

 

・書状類

 書状もたくさんあり国宝にもなっている『上杉家文書』 の中からも数通ありましたが、あまり興味のある内容ものはありませんでした。 貴重なんですけどね。

 書状の中で一番のお気に入りは、上杉謙信が喜平次(景勝)に送った書状です。 習字の上達を褒めるという内容のもので、謙信の喜平次への優しさが伝わってくるようなものでした。

 

宋版『史記』『漢書』『後漢書』 

 景勝が太刀マニアなら、兼続は書物マニア。 この三冊は国宝に指定されているものでして特に貴重なんですね。 日本に現存するものでは最古のものらしいです。兼続と前田慶次で史記に注釈を入れたと伝わっていますが、この史記かどうかは不明です。

 

上杉本洛中洛外図屏風

 織田信長から上杉謙信に送られたというこの洛中洛外図屏風。レプリカではなく本物が展示されるというので楽しみにしていたのですが、展示は6月27日からで残念ながら見ることは出来ませんでした。

 相変わらずツメが甘い私です。

 

 というわけで、洛中洛外図屏風を見に、もう一度六本木に行くことをここに宣言いたします。 


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あじさい寺

Category : 埼玉北部のいいところ

中国遠征記はちょっとお休み。 先日は、埼玉県熊谷市にある能護寺へ行って来ました。

 

 

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 ここは通称『あじさい寺』と呼ばれています。 

 

 

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 行基上人により、天平15年(743)に開山されました。 

 

 

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 後に、空海(弘法大師)が天下泰平、五穀豊穣祈願のため真言密教の道場を開き、能護寺としたと伝えられます。(パンフレットより) 

 

 

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おなじみのアングルのようで、カメラマンがたくさんいらっしゃいました。

この鐘楼の鐘は1701年の鋳造だそうです。

 

 

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アジサイというと、上のような紫の色のものを思い出しますよね。

 

 

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ここには、約80種・800株のアジサイが植えられているそうです。 

 

 

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さわったら気持ちよさそうなアジサイ

 

 

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ブドウの房のようなアジサイ 

 

 

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小粒なアジサイ。 後ろの建物はトイレです。

 

 

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平べったい花のアジサイ 

 

 

 

最後に…

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天地人、花に背いて北へ帰る(25)

Category : 天地人

天地人 第24回 『戸惑いの上洛』

 

 私が新入社員の頃、福島正則みたいな先輩がいて、キャ○クラやス○ックのようなところに連れていってくれたのですが、どーも私にはそういうところの魅力がわからないんですよね~。 その時は辛くて辛くてしかたありませんでした。

 付き合いなのだからと初めは割り切っていましたが、そのうちそれがストレスとなって、福島先輩(仮名)には申し訳ないけど『もう誘わないでください!』とはっきり言ったものです。

 そんな若い頃の自分を思い出す、今夜の天地人でした。 

 

 天地人0614

【この紋所が目に入らぬか!】

 

 それにしても、伊吹吾郎さんに北条氏政をやらせるなんてもったいないです。 貫禄がありすぎて、とても凡庸なおぼっちゃん(失礼!)には見えませんよね。 

 そのかわり、その沼津のシーンだけ『大河ドラマ』になっていた気がしました。 あとは、お涼が福島正則を投げ飛ばすシーンといい、コメディタッチのBGMといい、京都の観光名所を紹介するシーンといい、とても国営放送が製作するドラマとは思えませんでした。

 これなら、セクスィー武将でも見ていたほうがましですかね。

 

 さて景勝の容体が気になるところですが、来週は初音タンがクビになるようです。

 

 ではまた…


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中国遠征記 ~ももたろう伝説のある神社~

Category : 岡山県のいいところ

 ももたろう伝説のある神社というより、ここに祭られている吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、桃太郎のモデルになったといわれています。

 

 

吉備津神社

 備中高松城と、岡山市街地のちょうど中間くらいに鎮座します。 

 

 

吉備津神社 (2)

 拝殿です。 

 

 

吉備津神社 (3) 

 拝殿・本殿です。 普通、拝殿と本殿って、別々の建物ですよね? ここは拝殿・本殿が一つの建物になっています。

 なんでも、比翼入母屋造りといって日本でここだけなんだそうですよ。 国宝にも指定されています。

 日本に唯一なので、単に『吉備津造り』と言われたりもするそうです。

 

 

吉備津神社 (4)

反対側から… 

 

 

 

 

 昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。 で始まる桃太郎。 そんな桃太郎伝説のモデルとなった吉備津彦命の話です。

 

 昔々、吉備の国に温羅(うら)という悪い人が異国からやってきて、このあたりで暴れまわり、付近の人々を困らせていたそうです。

 そこで時の朝廷は、武勇の誉れ高い吉備彦命を吉備の国に遣わし、みごとに温羅を討ち取ったのだそうです。

 それが、ももたろうの話へと変わったそうです。 もっとも、他の地域でもももたろう伝説はあるようですが…

 

  

吉備津巫女さん募集

 

 


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中国遠征記 ~名を高松の苔に残して~

Category : 岡山県の城

 続いては、備中高松城です。 ここ、来てみたかったんですよね。

 

 

備中高松城

遺構なんてなにも残っていませんが、やっぱりあの話無しではこの城は語れません。

 この城は、備中松山城主であった三村氏の家臣・石川久弐によって築城されたとされます。 しかし、毛利氏によって三村氏が滅ぼされる(備中兵乱といって、次の機会に書こうと思います)と、久弐に従っていた清水宗治が毛利氏に属して城主となりました。
 1582年、中国征伐に乗り出した織田信長が羽柴秀吉を先鋒に備中に攻め込むと、秀吉軍は高松城を取り囲みます。秀吉は外濠をなす沼地に囲まれたこの高松城を攻めあぐねたため、川を塞き止めて城を水没させる戦略をとりました。

 水没した高松城を挟んで、救援に来ていた毛利軍と織田軍の睨み合いは一ヶ月にも及びました。

 

 そして京都ではあの『本能寺の変』が発生したのです。

 

 秀吉は急ぎ、講和をはかります。 城主・清水宗治が切腹をすれば他の城兵は助けると。 清水宗治はあたかも湖となった高松城に船を浮かべ、そこで切腹をしたのでした。

 秀吉は清水宗治の切腹を見届けると急ぎ山陽道を上り、みごとに明智光秀を討ち取ったのでした。

 その後の秀吉の活躍はご存知の通りですよね。

 

 

清水宗治自刃之址 

 清水宗治が切腹したとされる場所には供養等が建っています。 

 秀吉は何度も宗治に、織田に寝返るように説得したといいます。 でも、毛利に忠誠を誓い、決して寝返ることはありませんでした。

 もともと毛利の家臣ってわけではなっかたのですので、織田方に寝返っても良かったと思うんですけどね。

 でもそこが、清水宗治という人物が好かれる所以なのですよね。 私も好きです。

 

 

清水宗治首塚

本丸跡に建つ首塚。 もともとは違う場所にあったのですが、最近ここに移設したそうです。 

 

 

ごうやぶ遺跡

 この清水宗治という人は、当時の多くの人々にも慕われていて、殉死者をたくさんだしたそうです。

 

 この備中高松城址は、街道沿いに大きな看板も出ていて訪れやすいと思います。 城址の周りには、上のような小さな遺跡も多数存在していて、長時間いても飽きることはありません。

 城の遺構は無いけれど、400年前の出来事に思いをはせるにはイイ雰囲気です。

 

 

 最後に…

清水宗治辞世の句

浮世をば

今こそ渡れ武士の

名を高松の

苔に残して

(清水宗治 辞世の句)

 

 


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中国遠征記 ~日本三大平山城の一つ 津山城(2)~

Category : 岡山県の城

  津山城の続きです。

 

 

備中櫓

 数年前に再建された『備中櫓』です。 

 最近は昔ながらの工法で天守だけでなく、門や櫓などを再建するのが流行りですね。

 そんな昔ながらの工法で再建するのは私は大賛成ですが、莫大な費用がかかるんですよね。 

 景気回復のためにはいいのかな? どうなの津山市民の皆さん?

 

 

備中櫓 (2) 

 この津山城は、日本三大平山城の一つです。 ほかの二つは、姫路城・丸亀城ですが、丸亀の代わりに伊予松山城を入れる資料もありました。

 私はあの高石垣群が素晴らしい、丸亀城を推薦したいですね。 

 ちなみに上記3城はすでに登城済みなので、この津山城で日本三大平山城制覇です

 

 

津山城天守台 

 天守台に到着しました。 かつては五重の天守が聳え立っていましたが、明治になって取り壊されたそうです。

 幕府には四重と届け出していたそうで、隠密の目をごまかすために、四重目の屋根を短く切り落としていたというエピソードもあります。

 

 

津山城天守台入り口

 天守入り口の穴蔵。

 

 

津山城天守台より 

 天守台からの眺め。

 

 

津山城天守台より (2)

同じく天守台から津山市街地 

 

 

津山城天守台より備中櫓 

天守台から見た、備中櫓。

 この津山城は15世紀半ば、美作国守護・山名氏の一族がこの鶴山に砦を作ったのが最初といわれてます。

 その後この砦は廃れてしまいましたが、関ヶ原の戦いの後森忠政が美作を与えられると、この鶴山に本格的に築城を開始します。

 鶴山を津山と改名し、1616年に城は完成しました。

 後に、森家に代わり越前松平家の分家が入り幕末を迎えます。

 

 

備中櫓厠

こんなところまで復元!?

 

 噂には聞いていましたが、こんなに素晴らしい城址だとは思っていませんでした。 入場料を徴収するだけのことはありますね。 

 とくに、迷路のように入り組んだ石垣群が素晴らしかったです。 濠のほとんど埋め立てられてしまっていたのがちょっと残念ですが…

 

 

津山城

大きくなるので、参考にしてみて下さい。

 

 

そして私は、南へ向かいました。 

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(24)

Category : 天地人

天地人 第23回 『愛の兜』

 

 やっぱり「仁愛の愛」!? 

 

 

 上洛に前向きでない景勝に決心してもらおうと、兼続は二人の思い出の地・上田の庄に行くことに。

 それはあのかわいい「こども店長」を再び出演させるための苦肉の策であったのか?

 

 その天使のような店長の笑顔に騙され、景勝は上洛を決心します。

 

天地人0607 

【似合わないんだよな~】

 

 今週の紀行は上杉神社でしたね。 私も数年前の夏に訪れました。

 あの愛の兜はまったく記憶に残ってませんが、上杉神社向かいのラーメン屋で食べた冷やしラーメンがおいしかったのは覚えています。

 なので私の上杉神社の思い出は、愛の兜でも洛中洛外図屏風でもなく、愛の冷やしラーメンなのでした。

 

 今週は特に感想は無いです。

 ではまた…


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中国遠征記 ~日本三大平山城の一つ 津山城(1)~

Category : 岡山県の城

 今回の旅で最初に訪れたのは津山城です。

 津山駅から1キロくらいだったでしょうか? 駐車場に車を停めて、いざ登城です。

 

 

津山城登城口

 この階段は遺構ではないでしょうが、正面に見える石垣でもうテンションMAXです。 

 

 

森忠政

 この城を築いた森忠政です。 この人は森可成の6男で、兄には信長の寵童で有名な森蘭丸がいました。

 父親の可成とその嫡男の可隆は、浅井・朝倉連合軍に攻められ死亡し、跡を継いだ長可は小牧・ 長久手の戦いで討死。 

 蘭丸はご存知本能寺にて亡くなっていたし、その他の兄も夭折とあって、この6男の忠政に家督を継ぐ権利が回ってきたわけです。

 忠政は関ヶ原で東軍につき、その功でこの津山を与えられます。 (功といっても秀忠軍と一緒に上田城を攻めていて、関ヶ原には間に合わなかった。)

 

 

津山城冠木門

 入城料 ¥200を払い(払うのかよっ!) 入城します。

 

 

津山城孔雀

 途中、小さな動物園があり、孔雀が羽を広げて歓迎してくれました。 

 

 

二の丸表中門跡の大階段

 津山城の見所の一つ、二の丸入り口の広い石段。 こんなに広い石段は、めったに見られません。

 あの天下人の城でさえこの広さはなかったですよ。 

 

 

津山城 (2)

 木が邪魔をしていますが、この城は石垣のオンパレード。 石垣フェチにはたまりませんなぁ。 

 

 

津山城 (3)

 搦手から登るとちょっと整備不足の崩れかけた石段。 これはこれで、趣があっていいですね。 

 

 

津山城 (4)

イ ・ シ ・ ガ ・ キ 

 

 

津山城 

大きくなるので、参考にしてみて下さい。 まだまだ続きます。

 

 


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中国遠征記 ~オダジョーに食わせるタンメンはねぇ!~

Category : 岡山県のいいところ

 久々に遠征してきました。  

 当面の目標として『現存12城制覇』というのがあるので、その現存が二つもある中国地方へ行ってきました。

 

メガシャキ 

 まずはこれを飲んで、シャキッとしないとね。 殿も飲んでいることだし…

 

大津SA 

 途中、大津SAから見た琵琶湖。 二年ぶりの再会です、なつかしいですね。 

 ちょうど真ん中に城郭風の建築物がありますが、なんなんでしょうか? 大津城ではないことは確かです。

 

津山駅 

夜8時くらいだったでしょうか? こちらに到着。

 チェックインを済ませたら、街中を散策します。

 

 

何川?

  ホテルの目の前を流れる吉井川。 夜景に挑戦してみましたが、やっぱりぶれますね。

 ここ岡山県津山市は、B’zの稲葉さんの出身地で、ホテルのロビーにも『稲葉さんゆかりの地』のガイドマップがおいてあり、実家などはすっかり観光地となっているそうです。 

 ほかにもオダギリジョーさんや、次長課長の河本さんを輩出しているそうで、しかもその二人は小学校の同級生なんだそうですよ。

 個性的な御三人さんですよね。

 

 

箕作阮甫 

 この地からもう一人有名人が。 

 この箕作阮甫(みつくりげんぽ)と言う人は、幕末の津山藩医の息子で洋学を学び、後に幕臣に取り立てられて翻訳員となった人だそうです。

 ちなみに六角承禎の子孫なんですって。

 

 

旅の本番は翌日からです。

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(23)

Category : 天地人

天地人 第22回 『真田幸村参上』

 

 だいたい女子が使者って、上杉家に対して失礼だろ? しかも忍びならなおさらだよ。

 「母親が卑しき身分故」って、一大名の姫がそんなことで「忍び」として育てられるなんてありえませんな。 設定おかしいよ。 

 

 まあ、盟約の証しとして幸村が上杉家に人質としてやってくるんですが、また幸村の態度が気に入りませんな。 兼続が幸村の心を開かせるまでの流れを作りたかったのでしょうが、あれではせっかくの「戦国一の人気武将」が台無しです。 もっと違う描き方があったろうに…

 そして真田家は代々裏切りを繰り返してきたみたいな言い方でしたが、本当にそうでしょうか? 昌幸はたしかに、織田・北条・徳川と主君を変えてきましたが、それには理由があり、裏切りという一言では語りつくせないものがあるんですよ。

 武田家が滅びそうになった時だって、穴山信君や小山田信茂のように裏切ったりしなかったんですからね。

 

天地人0531 

【マトリックスにしては中途半端】

 

 それにしても、幸村の心が開くのが早いこと早いこと。 先週の石田三成といい、もうちょっとひっぱったほうがいいと思うんですよね。 

 そんなにブッキー兼続に人望があるとは思えませんよ。

 

 せめてもの救いは、城田クンが意外と時代劇にマッチしていたことくらいでしょうか?

 

 さて来週は、視聴率回復のため子供店長が再び登場するようです。

 

ではまた…

 


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まだ江戸城を歩く(4)

Category : ---江戸城

四ッ谷見附 (2) 

 四ッ谷に到着しました。 やはり交差点には『見附』の名前が残っていますね。 見附とは検問所みたいな感じですかね? もちろん厳重な城門が構えてありました。

 

四谷駅付近 

 四ッ谷付近の外濠の様子。 完全に埋め立てられていますね。 

 

 

四ッ谷見附石垣 

 四ッ谷門の石垣跡です。 なにも説明板などなかったのが残念なところですね。

 

 

真田濠?

 ここも完全に埋め立てられていますが、外濠跡です。 真田家が工事を担当したとのことで『真田濠』といううそうです。 今は上智大学の敷地です。

 

 

迎賓館? (2) 

 その真田濠の向かいにあるのが迎賓館。 江戸時代は紀伊徳川家の屋敷でした。 この門はその屋敷の門跡かと思ったのですが、そうではないそうです。

 

 

紀の国坂

 紀ノ国坂。 もちろん紀伊家があったことから紀ノ国坂です。 このあたりは交通量も少なく、木々も多いので、気持ちよく歩けました。 

 この坂を下ると赤坂です。

 

つづく…

 


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