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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(9)

Category : 山梨県のいいところ

 景徳院を出た私は、近くの日川渓谷でしばし休憩。 10月中旬のことでしたので、紅葉はまだ始まっていません。

 

 

日川渓谷

 

 現在は舗装道路が整備されていますので、景徳院からはすぐそこです。

 

 

天目山栖雲寺 

 

 そしてここが、勝頼が行きたかった『天目山』です。 天目山といっても『山』ではないんですね。 私も最近知ったのですが、『比叡山延暦寺』とか『高野山金剛峰寺』 というように、『○○山』というのは山号といって、特定の宗派の寺には必ず山号が付くのだそうです。

 高野山や比叡山はたまたま山の中にあるんで違和感はありませんが、平地ある寺にも山号がついている寺はありますよね。

 

 で、『天目山』というのは『栖雲寺(せいうんじ)』の山号ということでした。

 

 

栖雲寺本堂

こちらは本堂。 武田菱がワンポイント添えています。

 

 この寺の見所の一つに『石庭』があります。 石庭というと、京都辺りの有名なお寺にあるような、枯山水などを思い出しますが…

 

 

 この栖雲寺の石庭はこんなかんじです↓

 

栖雲寺石庭

おっと、石庭というよりは『土砂崩れ』ってなかんじですね。(失礼)

 

 

蕎麦切発祥の地

 ここは蕎麦切発祥の地でもありました。 その昔、蕎麦は今で言う『そばがき』のようなかたちで食べていたのですが、今のように『麺』にして食べるのが『蕎麦切』なんだそうです。

 調べてみたら、ここの他にも発祥の地は何箇所かあるようでした。

 

 近くに蕎麦を食べさせてくれる店があったのですが、残念ながら休みでした。

 

 

武田信満公の墓

 そしてここが、武田家第13代当主・武田信満の墓です。 勝頼はここで腹を切りたかったのでしょうね。

 15世紀の初め、関東では上杉禅秀の乱が起こります。 これは、上杉禅秀が関東管領職を辞めさせられたことなどによる反乱だったわけですが、 武田信満は娘が禅秀の妻だった関係で、禅秀方に加担します。

 結局禅秀の乱は失敗に終わり、加担した信満も追い詰められてこの地で自刃します。

 ここで一旦、甲斐守護としての武田氏は滅亡します。

 

 んが、約20年後、高野山にいた信満の息子の信重が室町幕府のバックアップを得て、甲斐の守護職に復帰します。

 でもそれは、名ばかり守護職でしかありませんでした。 時は群雄割拠、甲斐国内も荒れに荒れ、統一されるのは信玄の父・信虎の代まで待たねばなりませんでした。

 

 そして信満の死から約150年後、またもやこの地で武田家は滅亡したのでした。

 


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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(8)

Category : 山梨県のいいところ

 侍女の殉死レリーフの近くには景徳院というお寺があります。

 ここは、徳川家康が武田勝頼の霊を弔うために建てました。

  本当に弔うために? 甲斐の人々の心を掴みたかったんじゃないの~?

 

 

景徳寺山門

 立派な山門です。 この門は、二度にわたる火災にも耐えて今に至るんだそうですよ。

 

 

  

景徳寺本堂と

本堂と旗堅松。

 勝頼は左側に写る松の根元に御旗(みはた)をたて、息子の信勝に楯無鎧(たてなしのよろい)を着せ、信勝が武田家の世継ぎであることを示しました。

 御旗と楯無は武田家に代々伝わる家宝で 、今も塩山の雲峰寺(御旗)と同じく塩山の菅田天神社(楯無)に残されています。
 ちなみに御旗は現存する日章旗(日の丸)では、日本最古のものなんだそうです。

 

 

勝頼生害石

 そして勝頼夫婦と息子・信勝は自刃するわけです。

 上の写真は、武田勝頼の生害石。 この上で自刃したんだそうですよ。 もちろん、奥さん(北条夫人)のものも信勝のものもありました。

 

 

辞世 

 三人の辞世の句です。 昔の人は死ぬ間際に(というより前もって用意しておくのかな?)歌を詠むなんてかっこいいですよね。 まあ、後世の我々の勝手な感情で、本人たちはそうは思っていないでしょうか。

 でもなんで、夫人のだけ石碑なんでしょうね?

  

  『黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒』

と書いてありました。

 

 

三人の

 こちらは没頭地蔵といいまして、、首のない武田父子の亡骸を埋めたと場所とされています。

 

 

三人の墓

 こちらが三人の墓です。 本来は右の建物の裏にあるのですが、現在発掘調査中なので仮にここにあるのだそう。
 真ん中が勝頼で、右が夫人、左が信勝です。

 

 

 ここを出た私は、三人の代わりに天目山に向かいました。

 


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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(7)

Category : 山梨県のいいところ

 

 天目山へと向かう勝頼一行ですが、織田軍に行く手を阻まれてしまいます。 そこで勝頼は天目山を諦め引き返すわけですが、ここで土屋惣蔵昌恒という人物が時間を稼ぐため織田軍をい一手に引き受けます。

 

 

片手千人切

  この時、土屋惣蔵は崖道の最も狭い所で、岩影に身を隠し、片手は蔦につかまり、片手は刀を持ち、迫り来る織田軍を次々に切っては足元の日川に蹴落とし、日川の水は三日間血で赤くそまったと言われています。
 それだけの敵を切ったことから、土屋惣蔵片手千人切といわれています。

 本当に千人切ったわけではなさそうです。

 

 

鳥居畑古戦場

  ここの地まで主君に尽くしてきた武田家の家臣が小勢で、織田徳川勢数千人と激しく抗戦して敗れた武田家最後の激戦地です。(看板より)

 前回紹介した小宮山内膳が下流を守り、上の土屋惣蔵が上流で戦っている間に勝頼はここ鳥居畑に簡易的な陣を張ります。
 しかし小宮山は討ち死に、土屋は勝頼と一緒に死のうと退却。 両側から織田軍が迫ります。

 結局ここが、勝頼一行の最後の地となってしまいました。

 

 

なんだっけ

 このレリーフは、勝頼夫人に付き従った侍女達が、日川に身を投げ殉死した様子を表現したもの。

 

 なんか、悲しい場所に来ちゃったなぁ… 

 


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木曽路はすべて山の中(2) ~有楽苑の紅葉~

Category : 愛知県のいいところ

  木曽路を旅した時のレポートです。 本来なら順番に紹介する予定でしたが、ここから先に紹介してしまいましょう。

 

 

有楽苑

 ここ有楽苑(うらくえん)は、愛知県犬山市の名鉄犬山ホテルの敷地内にあります。

 

 

有楽苑 (2)

 入苑料1000円(チョット高めかな~)を払いまして門をくぐりますと、紅葉が見ごろでした。

 

 

有楽苑 (3)

 有楽とは、織田信長の実弟・織田有楽斎のことです。 茶人として有名ですね。
 ちなみに、東京の有楽町は有楽斎の屋敷があったことから名づけられたんですね。 

 

 

有楽苑 (4)

 

 

有楽苑 (5)

 上の写真は、旧正伝院書院といって、有楽斎の隠居所だったそうです。

  

 

有楽苑 (6)

 含翠門と紅葉

 

 

有楽苑 (7)

日本の秋はいいねぇ(海外の秋は経験したことはありませんが…) 

 

 

有楽苑 (8)

 んで、こちらが国宝の如庵(じょあん)です。 くつろぐご夫婦は、国宝じゃないですよ~

 

 

有楽苑 (9)

 本当は京都の建仁寺にあったのですが、有楽斎の生まれ故郷のこちらにもってきたのだそうです。

 ちなみに日本三大茶室の一つだそうです。

 

 

 

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(49)

Category : 天地人

天地人 第47回 『愛を掲げよ』

 

 感想を書くのもこれで最終回です。 感想というよりも、愚痴ばっかりでしたが…

 

 さて今週はというと、いきなり景明の死でした。 子供を全員亡くしかわいそうな兼続夫婦ですが、そんなことは視聴者には思わせないチープな演出だったようです。
 もっと景明に感情移入してもらえるような演出をしてから殺さないと、視聴者(少なくとも私は)は感動しないと思いますよ。

 もっともこのことに関しては、一年間を通して一貫していましたけどね。

 まず景明は、結婚をしています。 しかも徳川家譜代の家臣で膳所城主の戸田氏の娘とです。
 それから、景明が倒れると二代将軍・秀忠自ら医者を派遣させているんです。 将軍自ら医者を派遣させるなんてすごいことで、しかも陪臣の息子にですからなおさらです。 素人がチョット調べただけでこんなエピソードがあるのがわかるのに、ドラマ内で描かないのはもったいなさ過ぎます。

 以上の二点を絡ませれば、景明の死や徳川家との繋がりもうまく描けて感動できたと思うのですが。

 

 まあ、これも愛、きっと愛、たぶん愛。

 

 





 

 それにしても初音タン、まだ生きていたのですね、驚きました。 前半はあんなに主人公やその周辺の人物に絡んでいたのに、後半は全くといっていいほど絡んできませんでした。

 大河ドラマでは、架空の人物が登場するのは珍しいことではないですが、初音タンや利休の娘のお涼さんほど無駄な登場人物もいなかったですよね。
 彼女らを登場させるなら、もっと他に登場させるべき人物がたくさんいたろうに…

 上杉憲政・前田慶次・藤田信吉・最上義光 他多数…


 もっと驚いたのは、ブラック遠山のフェイドアウトでした。 本当の彼は御館の乱で景虎と一緒に死んでいるにもかかわらず、ドラマではここまで引っ張っていておいて結局はフェイドアウト。

 結局彼はなにがしたかったのでしょう? 

 



 

 結局、このドラマで直江兼続の偉大さが伝わったんですかね? 

 このドラマが始まる前は大河初の『関ヶ原の負け組』という触れ込みでした。 兼続の人生のハイライトは、御館の乱でも魚津城の戦いでもなく、関ヶ原とその戦後処理の手腕だと思うのですよ。
 なのに長谷堂からの撤退戦もほぼナレーションで終わらせたり、米沢に減封された時の大変さも演者の“説明的な”セリフで終わらせたりと、我々に訴えかけてくるものが殆どありませんでした。

 せっかくのいい素材なのに、もったいないったらありゃしません。 

 

 でも、もうここに愚痴を書くことも無くなるかと思うと、チョット寂しいですね。 

 

 最後に一言だけ…

 

 

わしはこんな大河ドラマ
見とうはなかった!

 

 

…終わり

 


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木曽路はすべて山の中(1) 

Category : 長野県のいいところ

 今回は中山道のうちの『木曽路』を旅しようと思い立ちまして、その木曽路の出発点『塩尻宿』にいます。

 木曽路とは大体、塩尻~中津川のことを言うのだそうでして、木曽路を旅した後はあの城にも立ち寄る予定です。

 

 

塩尻宿本陣

でも天目山の記事がまだ残っているので、それが終わったら書こうと思います。

 

 

塩尻峠展望台

上の写真は、塩尻峠展望台からの眺めです。

肉眼では、富士山もくっきり見えたのですが、写真にするとわかりにくいですね~

ちなみに真ん中の湖は諏訪湖です。

 

 

塩尻峠展望台 (2)

 同じ場所から撮った夜景です。 この夜景は、諏訪三大夜景というそうですよ。 日本三大夜景の一つにしてもいいくらいにキレイでした。 

 


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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(6)

Category : 山梨県のいいところ

 国道20号線と別れ、天目山へと向かう道を進むと、四郎作古戦場があります。

 

四郎作古戦場

 

この古戦場は 

 小宮山内膳友晴(友信)は、武田の重臣小宮山丹後守昌友の長男として武田氏に仕え、武田軍政に重きをなしていた。
 長篠合戦以後武田軍の中枢は重臣たちによって司られていたが、小宮山内膳はその折々軍のため率直に意見を述べた。重臣たちはこれを快しとせず理非をわきまえずにこれを否定し遂に讒言により主君の勘気を被り蟄居を命ぜられ幽閉の身となった。
 しかし、天正10年3月11日に武田勝頼は多くの重臣たちに離反され、一族とともにこの付近において最後の決戦をする運命に陥ったのである。
 小宮山内膳は主君の危急を知り、決戦の前夜一行に追い付き「友晴が譜代の臣でありながら、武田家の最後の戦いに臨めなかったなら、小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背くゆえ、蟄居の許しを請い最後の戦いに御盾となり高思の万分の一にも報いたい」と言上した。
 勝頼は「あっぱれな武士の鑑よな余の不徳の致す処であった」と直ちにこれを許した。
 小宮山内膳は勇躍戦いの最前線であるこの地に陣を敷き、寄せ来る敵と奮戦数刻の末従容として主君に殉じたのである。
(石碑裏の文章より抜粋)

 

 ズルをしてしまいましたが、要するに小宮山内膳はエライッ!! っちゅうことですね。

 

 

日川渓谷 (2)

 

 武田勝頼一行は、日川渓谷沿いを天目山目指して進みます。 写真は、現在の日川渓谷。 今頃は紅葉がキレイだそうですよ。
 勝頼が通ったころは3月なので、残雪があったかもしれませんね。

 

 

日川渓谷

 

 たぶん、こんな道無き道を進んだのでしょう。 たぶん。



つづく…
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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(5)

Category : 山梨県のいいところ

 大善寺の近くには新撰組局長・近藤勇の像がありました。

 このあたりは、板垣退助率いる新政府軍と近藤勇率いる甲陽鎮撫隊が激突した場所なんだそうです。

 もちろん、新政府軍の圧勝でした。 なのになぜ板垣退助像ではなくて、近藤勇像なんでしょうね? やっぱり、日本人特有の『判官びいき』なのでしょうか?
 近藤の出身地・多摩が近いからでしょうか?

 

近藤勇

 

 ナゾは解けないまま次の目的地へ…

 

 

大和駅

 ようやく天目山か? と思ったら、JR中央線・甲斐大和駅に立ち寄りです。

 

 

武田勝頼

 ここには今回の旅の主人公・武田勝頼君の銅像があります。 どーも、はじめまして。

 このあたりは笹子峠に向かう道と、天目山に向かう道が別れる場所なんですね。

 真偽はともかく勝頼君が笹子峠に差し掛かったところで、頼りにしていた小山田信茂軍に鉄砲を撃ちかけらたという話が伝わっています。
 そこでもう死ぬしかないと悟ったのか、一度この甲斐大和駅付近まで戻って先祖の墓のある天目山に向かったのでした。

 

 

武田勝頼 (2)

 勝頼君、狙いか偶然か笹子峠の方角を向いています。

 『のぶしげーっ!  裏切ったなーっ!』 とでも言っているようです。

 

 現在の笹子峠は、遊歩道が整備されているようですね。 途中までは旧国道20号線があるので、車でも行けます。  
 でも、冬季は閉鎖されるようなので、行くときは注意しましょう。

 


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アワノカミ と アユノメシ (後編)

Category : 埼玉北部のいいところ

 鉢形城から車で10分ほどでしょうか、国道140号線沿いに正龍寺はあります。

 

 

正龍寺

 

  この寺には、鉢形城主・北条氏邦とその義理の父・藤田泰邦の墓があります。

 藤田氏邦は、もともとこの辺りを治めていたのですが、小田原の北条氏が台頭してくると北条氏康の三男・氏邦を養子に向かえて北条氏の傘下に入ります。
 その時妻になったのが、藤田泰邦の娘・大福御前です。

 

 

正龍寺 (2)

 

 藤田泰邦には重連・信吉という二人の息子がいて、重連のほうは氏邦に殺されてしまいました。

 信吉は、それに怒ったのかは知りませんが、真田昌幸を通じ武田勝頼に寝返ってしまいます。  武田家が滅びた後は、上杉家に仕えました。

  この藤田信吉という人の一番有名なエピソードといえば、関ヶ原を前に上杉家を出奔して、徳川家康に『上杉景勝が裏切りまっせ!』とチクったことですね。
 残念ながら天地人には出演しませんでした。
 

 

 

藤田泰邦夫妻の墓 北条氏邦夫妻の墓
【藤田泰邦夫妻の墓(上)と北条氏邦夫妻の墓(下)】

 

 話をもとへ戻しましょう。

 そして1590年、豊臣秀吉による北条征伐が行われるのですが、氏邦夫妻の籠る鉢形城は上杉・前田率いる北国軍が担当しました。

 上杉軍には当然藤田信吉がいます。 信吉は籠城軍には旧知の者や姉がいるので、力攻めを避けるべく近くの寺の住職等を派遣して開城を求めます。

  

寄居市街 
【泰邦・氏邦の墓から見た寄居市街】

 

 それが功を奏したのか、鉢形城は開城となります。 氏邦は加賀の前田家に預けられ、妻の大福御前はこの正龍寺で仏門に入りました。

 

 

大福午前自刃の地

 氏邦は前田家で優遇され天寿を全うしますが、大福御前鉢形城で命を落としたものを弔うために、千日行を行い、その後自刃したそうです。

 

 ちなみに上の写真の碑は寄居町・八王子市・小田原市と北条氏と関係のある自治体の有志によって建てられたそうです。
 畑のど真ん中にあり、見つけるのにチョット迷いましたよ。

 

 

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(48)

Category : 天地人

天地人 第46回 『大坂炎上』

 

 慈愛の心が刀に勝った。 今週はこれにつきますね。

 

 予想通り、千姫は兼続が助けたみたいになってました。

 しかも、大阪城内は淀・秀頼・千・幸村の四人だけで戦っているみたいでしたね。 もうチョット、侍女等が逃げ回るシーンなんか入れたら臨場感でるのにね。
 大砲が天守に命中するシーンなんか定番なんですけど描かれませんでした。

 描かれないといえば、上杉軍は大坂の陣ではいろいろとやっているのに描かれず、幸村の家康を追い詰めるシーンも…

 

 いろんな意味で長かった天地人も来週で終わりです。

 

 今週、一番面白かったシーンは、坂の上の雲の予告だったかもしれません。

 

 

 来週は、ヨボヨボの兼続が『エロ』を掲げるようです。

ではまた…


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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(4)

Category : 山梨県のいいところ

 勝沼氏館を出た私は、甲州街道を東へと向かいました。

 大善寺に到着です。 ここは甲州街道(国道20号線)沿いにあり、看板もそれなりに大きいので間違えることは無いでしょう。
 電車で行かれる方は最寄り駅(勝沼ぶどう郷駅)から徒歩30分です。

 

 

大善寺山門
大善寺山門】

 

 偉大なる父・武田信玄の跡を継いだ勝頼は、一時は父よりも領土を広げますが、結局は織田信長によって滅ぼされてしまいます。

 

 1582年3月、信長らに攻められ、新しい本拠地の新府城(韮崎)では支えきれないと判断した勝頼は、家臣・小山田信茂の岩殿城で再起を図ろうと決意します。  
 その岩殿城に向かう途中で一泊したのがここ大善寺です。

 大善寺では、父・信玄の従姉妹・理慶尼が庵を開いていた縁もあり、その本堂に勝頼一行は泊まったのでした。
 受け入れてくれた理慶尼のお兄さんは、実は武田信玄に殺されているのですが、勝頼一行が来たときにはどのように思ったのですかね?

 ざまあみろとでも思ったでしょうか? 哀れに思ったでしょうか?

 

 いずれにしても、勝頼夫妻、息子の信勝、理慶尼の四人で大善寺の本堂に泊まったらしいです。

 

  そして勝頼は、小山田信茂が裏切ったことをここで知るのです。

 

 

大善寺参道
【参道の階段】

 

 次の日に、笹子峠に向かう途中で、小山田軍に鉄砲を撃ちかけられたことで謀反を知った、という説もあります。

 とにかくここ大善寺で、大半の家臣が逃亡したとのことです。 

 

 

大善寺薬師堂
【四人が泊まった本堂(薬師堂)】

 

 覚悟を決めた勝頼は、先祖の墓がある『天目山』へ向かいました。

 

 私も天目山へ向かいました。

 

 

大善寺薬師堂 (2)
【本 堂】

 

 この本堂(薬師堂)は、鎌倉時代に建てられたのですが、『鎌倉幕府か建てた建築物』で唯一の現存建築物なのだそうです。 貴重ですね。

 拝観料500円取るだけのことはありますよ。 あ、イヤミじゃないですよ。

 

 

理慶尼の墓

 こちらが、理慶尼の墓です。 彼女はその後、理慶尼記(武田勝頼滅亡記)という記録を残し、武田家滅亡の様子を後世に伝えています。

 

 

勝頼腰掛石

この石は『勝頼腰掛石』です。 私も腰掛させていただきました。 罰当たり? 

 


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アワノカミ と アユノメシ (中編)

Category : 埼玉県の城

 豊臣秀吉が、関東に惣無事令(私闘禁止令)を発令していたのにもかかわらず、猪俣憲邦は名胡桃城を奪取してしまいます。

 わたしはこの名胡桃城事件は、猪俣邦憲の独断でやったものかと思っていたのですが、上からの指示があったらしいですね。
 その『上』とは、北条氏政であったのか、氏邦であったのかはわかりませんが。

 

 

八脚門
【復元四脚門】

 

 その名胡桃事件がきっかけで、秀吉は北条征伐を開始します。

 秀吉はこの鉢形城を北国軍(前田・上杉・真田等)に攻めさせました。

 その寄せ手の上杉軍の中には藤田信吉がいました。 彼は鉢形城主・北条氏邦の義理の弟です。 つまり北条氏邦の奥さん(大福御前)が藤田信吉のお姉さんなのです。(他の説もあり)

 本当は鉢形城主となるはずだったかもしれない藤田信吉が、上杉家家臣としてこの鉢形城を攻めることになろうとは皮肉ですよね。

 

 

石塁 
【復元石垣】

 

 そんな大福御前の説得もあってか、一月の籠城後、城兵の助命を条件に、この鉢形城は開城となります。

 本多忠勝の撃った大砲にビビったのかもしれませんね。

 

 

馬出し
【馬出し】

 

 そんな生ぬるい戦いを演じた北国軍に怒った秀吉は、次の八王子城攻めでは大虐殺を命じています。(たぶん)

 結局城主の北条氏邦も殺されることは免れて、前田家の預かりとなりました。 奥さんの大福御前はどうなったかというと…

 後で書きます。

 

 ちなみに北条氏邦の息子は、前田慶次の娘と結婚しています。

 

 

荒川
鉢形城址を出て、荒川を渡ります。

 

 

鉢形遠景
対岸から見た鉢形城址

 

 

京亭

 こちらは割烹旅館の京亭さんです。 ここではとても美味しい鮎飯を食べさせてくれるというので、たまにはグルメレポートもいいかなと思って寄ったのですが…

 なんと、完全予約制。 しかも二名以上でしか受け付けてくれないとのこと。 場所だけは事前に調べてきたのですが、そんなことは調べてきませんでした。 相変わらず詰めの甘い私ですね。

 

  

 


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天地人、花に背いて北へ帰る(47)

Category : 天地人

天地人 第44回 『大阪の陣へ』

 

 今週もブラック遠山大活躍でした。 

 あの役、本多正信にやらせればいいじゃん! だめなの?

 

 で、今週はどんなお話でしたっけ?

 そうだ、仙洞院が亡くなった話でしたね。 彼女は上杉謙信の姉で、坂戸城主の長尾政景に嫁いで景勝を生みます。
 当時としては長生きで80以上は生きました。

 文字通り、上杉家の栄枯盛衰を見てきた生き証人ですよね。

 

 んで、彼女はなんで今頃謙信の遺言が嘘であったことをばらすのかな? 今まで嘘をついて生きてきたことに罪悪感があったのでしょうか。
 あの席で遺言の話を知らないのは景勝だけですよね? 私なら自分だけ知らされなくて、仲間はずれにされたと思ってキレちゃいますよ。

 ところで、妙珍尼ってどこいったのでしょうね。

 

 さて来週は、川島海荷チャンがカワイイそうです。

ではまた…


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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(3)

Category : 山梨県の城

 続きましては、甲州市にあります『勝沼氏館跡』です。

 甲州市とは、2005年に塩山市・勝沼町・大和村が合併して出来たし市です。 これも平成の大合併で出来た市ですが、昔ながらの地名が消えていくのはなんだか寂しいですよね。

 

 

勝沼氏館

 ここの場所は説明しにくいですが、勝沼ワインセンターの脇にあるといえばわかりやすいかな?

 ここに到着するまでにはたくさんの葡萄畑があり、沿道ではおっちゃんやおばちゃんが客引きをしています。
 『にぃちゃん、にぃちゃん、寄っていきなよ、いいブドウあるよ!』 って、ここは歌舞伎町か?

 

 

 

勝沼氏館 (2)

 勝沼氏は、武田信玄の叔父さん つまり武田信虎の弟・信友がここに住み着いたことが発祥です。

 信友の長男・信元は、上杉謙信の関東侵攻時に武蔵秩父党の藤田泰邦と通じ、武田家に謀反を企てたとして信玄に殺されてしまいました。

 この藤田泰邦には二人の息子がいて、この息子達は豊臣秀吉と徳川家康の天下統一事業に大きく関わってくるのですが、ここでは関係ないのでまたの機会に書くことにします。

 ちなみにその息子達とは、実の息子の藤田信吉と北条氏康の子供で藤田家に養子に入った氏邦です。

 

 

勝沼氏館 (3)

 比較的整備されていて、わかりやすいです。

 

 

勝沼氏館 (4)

復元でしょうが、石垣が見えます。 典型的な食い違い虎口ですね。

 

 

勝沼氏館 (5)

 戦国時代にこんな高度な浄化施設があったのですね。

 復元されたものがありましたが、お世辞にも掲載できるほどキレイなものではありませんでした。

 復元整備もよいですが、きちんと『維持』していかなければ史跡の意味がないですよ、甲州市さん。

 

 

 


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アワノカミ と アユノメシ (前編)

Category : 埼玉県の城

 本日は埼玉県は寄居町にあります、鉢形城址へと行ってまいりました。

 人生で三度目の鉢形城でありますが、今回は鉢形城歴史館開館5周年記念特別展『北条安房守と真田安房守』を見るのが主な目的であります。

 

 

鉢形城冠木門
【歴史館入り口冠木門】

 

 鉢形城歴史館では、開館5周年を記念して上記のような企画展を11月23日までやっています。

 真田安房守とはご存知、真田昌幸のことで、北条安房守とは、ここ鉢形城主・北条氏邦(藤田氏邦)のことです。
 

 豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけとなった、猪俣邦憲の名胡桃城奪取事件。
 名胡桃城は、昌幸の所有する城。 そして、猪俣邦憲は氏邦の重臣。 くしくも小田原攻めのきっかけとなった当事者二人は、偶然にも『安房守』を名乗っていたことからこの企画が実現したとのこと。

 

 
 

鉢形城土塁
【土 塁】

 

 名胡桃事件以前から、この二人は領地を接していたので争うことが多かったようです。

 書きたいことはいろいろありますが、最初はいつだったでしょうか?

 御館の乱の時に、上杉景勝と結んだ武田勝頼の命令で、真田昌幸が沼田を攻めた時かもしれませんね。

 

 

鉢形城石垣
【石 垣】

 

 武田家が滅亡した時には、氏邦から昌幸に『うちの配下にならないか?』という書状を出しています。 しかも、勝頼が自刃をした翌日にです。 早いですね。
 今日見てきた資料にあったので、間違いはないですよ!

 結局昌幸は織田の傘下になるわけですが、本能寺の直後からは北条→徳川→上杉と主を変えています。

 

 

深沢川@鉢形城
【鉢形城内の深沢川】

 

 昌幸が上杉についた時には一回目の上田合戦があるわけですが、このとき氏邦は徳川と連動して沼田城を攻めています。
 

 この時の沼田城主は真田昌幸の叔父の矢沢頼綱という人だったのですが、 この頼綱の息子も真田信繁(幸村)同様、上杉家に人質に出されていました。
 沼田城が氏邦に攻められる時に、頼綱は上杉景勝に『この合戦の時だけ息子を返してください』とお願いするのですが、景勝は二つ返事で息子を頼綱の元へ返したそうです。

 この時の書状も今日展示されていたのを見てきました。 やはり、景勝『義』の男ですね~

 真田信繁が上杉家の人質であったにもかかわらず、第一次上田合戦に参加していたという話は上記の矢沢家の話がもとになっているのかもしれませんね。
 本当は参加していないんですよ。

 

 

鉢形城本丸
【鉢形城本丸】

 

 矢沢頼綱は氏邦軍を撃退するのですが、後年秀吉の執り成しによって沼田城は北条家のものになってしまいます。
 その時、沼田城代になったのが猪俣邦憲でした。

 

 

本丸から荒川
【本丸から荒川を望む】 

 

 

 そういえば、鉢形城の話が全くでてきませんね。 続きは次回といたしますか。

 


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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(2)

Category : 山梨県のいいところ

  浅間神社の次に向かったのが慈眼寺(じげんじ)です。 ここも武田信玄・勝頼ゆかりの寺です。

 

 

慈眼寺

 国道20号線沿いにあるので、迷うことは少ないでしょう。 でも『観光地』というかんじではないので、案内看板は見落としてしまいそうです。

 

 

慈眼寺楼門

 この寺は、武田家の武運長久の祈祷所として武田家に庇護を受けました。

 しかし、織田信長の甲州攻めのときに焼き討ち (ほんと信長って、焼き討ち好きね) にあってしまい全焼。 上の楼門や本堂なんかは、後に徳川家康が再建したものです。

 

 

慈眼寺本堂
まだ色付いてません…

 

 そんな武田家滅亡時には、武田勝頼から武田家の宝物を高野山へ納めるように依頼されたのがここの住職の尊長でした。
 その宝物の中には、勝頼の肖像画(勝頼夫妻と息子の信勝 三人が描かれているやつ) も含まれていました。

 今は高野山の持明院に納められています。

 

 

慈眼寺庫裏

 こちらは『庫裏(くり)』とよばれる建物。

 住職等の生活の場なのだそうですが、老朽化でつい最近竣工当時の姿に建て替えられたのだそうです。

 

 

 ここを出た私は、車を東に走らせました…

 


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まさに究極のツンデレ

Category : 埼玉中央のいいところ

 先日は、用事があって埼玉県は鴻巣市(こうのすし)へ行ってきました。

 県外の方はあまりピンとこないでしょうが、かつては中山道の宿場町として栄えました。

 現在は、免許センターのある街で有名です。 あとは人形と次念序ですね?

 

 

勝願寺

 まあ、私は例によってこんな場所へ寄ってきました。 勝願寺です。

 

 

山門

 この寺はもともと違う場所にあったのですが、天正年間(1573~92)にこの地に移ってきました。
 徳川家康はこの寺が好きで、このあたりに鷹狩りに来ると必ず寄ったそうです。(鴻巣なのに鷹狩りとはこれいかに?)

 

 

本堂

 家康の次男の結城秀康が北の庄に移封になった時に、もともとの居城だっった結城城の櫓や御殿をこの寺に寄進したそうなんですが、それら建築物は明治の災害で全焼してしまったんだそうです。
 現存していたら、間違いなく重要文化財だったのにね。

 

  

仙石久秀の墓 

 そんな勝願寺には有名人のお墓がいくつかあります。 

 まずは仙石秀久。

 彼は秀吉の古くからの家臣で、四国攻めで活躍しました。
 が、九州攻めでは島津軍に大敗を喫し、高野山に追放されました。 そんな彼も小田原攻めで活躍し、見事大名として復活したのでした。

  戦国史上もっとも失敗し、挽回した男というのが彼のキャッチフレーズらしいですが、詳しく知りたい方はマンガ 『センゴク』 をご覧ください。

 

 

真田信重の墓

 こちらは真田信重夫妻の墓。

 信重は、真田幸村のお兄さんの三男です。 って、やっぱり幸村(本名は信繁) 中心で説明しまいがちですね。

 

 改めまして、信重は“マイナーな方の真田さん”の三男です。 ←変わってないじゃん(汗)

 

 

 

小松姫の墓

 後世の我々から見たら真田信幸はたしかにマイナーかもしれませんが、 幸村が真田の『名』を残し、信幸が『家』を残したといえば聞こえがいいでしょうか?

 そんな信幸の奥さんの墓が上の写真です。

 

 信幸の奥さんは、徳川四天王の一人・本多忠勝の娘『小松』です。

 彼女のエピソードで外すことの出来ない話があるので、ここで書いておきます。

 

 時は1600年、徳川家康の会津攻めの時です。

 真田家も他家と違わず会津攻めに参加しますが、ご存知の通り京では石田三成が兵を挙げます。

 すると真田家は、父の昌幸と次男の幸村は石田方に、長男の信幸は徳川方につきました。

 昌幸と幸村は居城の上田城へと戻りますが、その途中には信幸の居城・沼田城がありますよね。

 ここで昌幸考えました。『この沼田城、ワシが奪ってやろう!』って。

 

 昌幸は城兵に向かって叫びます。『お~い! ワシじゃ~、昌幸じゃ~、孫の顔を見に来たぞ~、門をあけてくれ~』

 すると甲冑に身を固めた信幸の妻・小松が顔を出し 『たとえ舅殿の願いでもこの門を開けるわけにはまいりませぬ、入りたければ私を殺してから入るがよいっ!』

 小松が機転をきかせたのか、信幸から密書だ届いていたのかはわかりませんが、小松は決して昌幸を沼田城内には入れることはありませんでした。

 

 これに閉口し退散した昌幸が近くの寺で休んでいると、武装解除した小松が孫の顔を見せにやってきたそうです。

 

 

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天地人、花に背いて北へ帰る(46)

Category : 天地人

天地人 第44回 『哀しみの花嫁』

 

 冒頭で、本多政重は危険人物だって言ってましたよね? 

 あれ、ドラマ内でやってくれないかなぁ?

 あんなに重要なことをナレーションで済ませるのは、今年の大河の十八番なんでしょうがないですがね。

 

 

 一話一話完結のドラマを見ていると思えば、今週も悪くはなかったですよ。

 それには、松や政重がどのような人物かを説明する必要があったけどね。

 

 そういえば民放で、連続しているようで一話完結の時代劇がありましたね…

 

 

 そうだ、水戸黄門だ。

 

 

 大河ドラマ・直江黄門だと思えば、いままで楽しめたかもしれませんね。

 

 

 なんかいつも支離滅裂な文章なのに、きょうは特に…

 

 

ではまた…

 


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