春はまだか? (後編)
- 2010/03/31
- 00:39

つづいては喜多院に行ったわけですが、ここもほとんどの桜は開花していませんでした。 ただ、一本だけ見ごろを迎えた枝垂桜があって、そこには見物客が群がっていましたよ。 わざと、人を入れて写してみました。 喜多院の隣にある、仙波東照宮の桜もキレイでしたよ。 喜多院や、仙波東照宮のすぐ近くにある“中院”では、見ごろを迎えた枝垂桜がキレイだと聞いて...
春はまだか? (前編)
- 2010/03/30
- 17:44

昨日(3/29)は、関東の平野部でも雪が降り、春の到来も少し遠のいたでしょうか?。 そんななか、本日は川越の桜を見に行ってきました。 まずは、氷川神社の裏を流れる新河岸川沿いの桜。 まだまだ咲いていませんねぇ ちらほらとは咲いていましたが… 桜を見に行ってきたといいながら、本当はここがメインだったのです。 川越城中ノ門堀跡の整備が終わった、というニュ...
上州 世良田の里(5)
- 2010/03/28
- 17:09

はい、ここからは拝観料がかかります。 ごらんのような徳利門番がいて、半自動扉のようです。 開けるのは手動ですが、門の左下に見える徳利の重さで、自動で閉じます。 やっぱりありました、三つ葉葵の家紋。 この拝殿は、もともとは日光東照宮にありました。 今の日光東照宮は、三代将軍・家光の時に改修されたものですが、その時にここに移されたものだそうです。 ということ...
上州 世良田の里(4)
- 2010/03/26
- 16:47

黒門を抜けるとそこはこんな景色でした。 鳥居と拝殿が見えますね~ その前に左側を見てみると… こ、これは…! 本数は少ないけれど、河津桜が満開でした。 元に戻って、拝殿前の燈篭。 これは、前橋藩主・川越藩主・忍藩主が奉納したものらしいです。 そして一際高い(5メートル)この鉄灯篭は、川越藩主の秋元喬朝が奉納しました...
上州 世良田の里(3)
- 2010/03/24
- 00:26

長楽寺にはもちろん、この人のお墓があります。 徳川義季は徳川氏の祖とされる人物です。 どれが義季さんの墓でしょうか? ここは少し高台になっていて、開山堂を見下ろすことができます。 その開山堂。 徳川縁の地といえば、忘れちゃいけないのが東照宮です。 もちろんここにもあります。 ほら。 ここ黒門から中に入ります...
上州 世良田の里(2)
- 2010/03/22
- 00:11

徳川氏発祥の地から車で5分ほどでしたでしょうか。 東毛博物館に到着です。 写真は新田義貞と休館日の博物館です。 新田義貞は、鎌倉の北条氏を滅ぼした人物ですが、この像は、義貞が金の刀を海に投げ入れたところ、たちまちに潮が引いて、そこから鎌倉に攻め入ったというエピソードの像だそうです。 並木沿いを少し歩いて… 長楽寺に到着です。 長楽寺...
上州 世良田の里(1)
- 2010/03/20
- 21:24

先日は群馬県太田市へ行ってきました。 やきそばを食べに行って以来ですね。 そこにはなにがあるかと言うと… な、な、な、なんと、徳川氏発祥の地があるんですね。 まずは栄徳寺。 ここ永徳寺は、徳川氏の初代とされる徳川(新田)義季がこの付近に居を構えると、祈願所となったそうです。 お決まりの… この辺りは川だったらしい。 ちなみに、徳...
雪の日の大道寺政繁(4)
- 2010/03/18
- 18:30

続きましては、河越館の隣(というより、同じ?敷地内)の常楽寺にやってきました。 まだ雪の残る総門をくぐると… 立派な鐘楼門です。 仁王さんもいらっしゃいましたよ。 こちらは、まだ真新しい河越重頼・源義経・京姫の供養塔です。 この河越館を建てた河越重頼の娘が、義経に嫁いだんでしたね。 義経の奥さんというと、静御前が思い浮かびがちですが、彼女は正妻で...
雪の日の大道寺政繁(3)
- 2010/03/16
- 20:49

続きましては、日本の政治の中心地・霞ヶ関へとやってきました。 というのは冗談で、埼玉県川越市にも『霞ヶ関』があるんですね。 霞ヶ関駅から歩いて15分ほどでしたかね? 河越館跡に到着です。 上戸小学校を目安にするといいでしょう。 あたり一面の雪景色ですが、ここに河越氏の館がありました。 秩父平氏の流れを汲む重頼がこの地に居を構え、河越氏を名乗ったのが最初と...
雪の日の大道寺政繁(2)
- 2010/03/14
- 00:48

先日の雪の降った日の翌日、埼玉県川越市にある蓮馨寺に行ってきました。 その続きです。 こちらは本堂。 賽銭箱です。 北条の三つ鱗と、徳川の葵の紋が並んでいるなんて面白いですね。 その賽銭箱の脇に座ってらっしゃるのが… おびんづる様です。 おびんづる様の体を触って、その手で自分の体をなでると、病気が治るといいます。 いろいろな寺にいらっしゃいま...
すみよし桜の里
- 2010/03/12
- 00:13

本日は埼玉県坂戸市にある、すみよし桜の里へと行ってきました。 桜の開花にはまだ早いって? そうなんです。 ソメイヨシノの開花にはまだ早いですが、もう咲いている種類のものがあるんですよね。 それは河津(かわづ)桜といって、毎年二月下旬から三月中旬にかけて咲くそうです。 あれ~? まだ咲いていない? ちょっと気が早かったようです。 いつもツメが甘い私です。 この...
雪の日の大道寺政繁(1)
- 2010/03/10
- 21:00

昨日は関東地方の平野部でも雪が積もりました。 でも、『雪は夜更け過ぎに、雨へと変わった』ので、夜中に積もった雪も朝には溶けてしまって、交通機関の乱れもあまりなかったようです。 そんななか、私は川越へと行ってきました。 午前11時ころの連雀町交差点です。 雪なんてありませんね。 蓮馨寺へとやってきました。 ここは、本川越駅と蔵の街のちょうど中間くらいにあります。...
まだ江戸城を歩く(5)
- 2010/03/07
- 21:28

昨年5月に行った、江戸城外濠歩きの続きです。 前回は、紀尾井坂を下るところまででした。 紀尾井坂を下ると『弁慶濠』です。 ここは埋め立てられずに、水を湛えてました。 弁慶濠を過ぎると、赤坂見附です。 見附というからには、ここにも江戸城の門がありました。 と、その前に、紀伊和歌山藩徳川屋敷跡です。 あの、暴れん坊将軍を輩出した家ですね。 現在は、赤坂...
埼玉のマイナー史跡と、メジャーB級グルメ(4)
- 2010/03/05
- 00:54

ゼリーフライで腹を満たした私は、その近くにある天祥寺にお邪魔しました。 成田氏が城主をしていた忍城ですが、北条氏滅亡後は徳川氏の家臣が入ります。 最初は松平家忠。 彼は関ヶ原の前哨戦、伏見城の戦いで伏見城に籠り、鳥居元忠らと共に死んでいます。 次に松平氏が二代続き、阿部氏が九代。 そして1823年には、再び松平氏が入ります。 今度の松平氏は、通称・奥平松平氏といい、あの長篠の戦いの時...
埼玉のマイナー史跡と、メジャーB級グルメ(3)
- 2010/03/03
- 12:42

忍城と石田三成の水攻めについては、去年の一月の記事を見ていただくことにして… 続いては、成田氏ゆかりの神社・仏閣を訪ねました。 この神社は忍城の鬼門よけとして、成田氏によって建立されました。 鬼門とは、鬼の出入りする門のことで、忌み嫌われることが多いでしょね。 一般的には“北東”をさします。 もちろんこの神社は、忍城の北東にありました。 ...