記事一覧

上州真田の里(2)

  続いては正覚寺です。     ここには比較的有名な人の墓があります。     その前に山門。  幕末に建設されたと言うこの山門は、沼田市指定の重要文化財に指定されています。     本堂には“立葵”の家紋がたくさん描かれていました。  立葵の家紋と言えば、徳川四天王の一人“本多忠勝”の家紋です。        でも、ここには本多忠勝の墓があるわけではなく、その娘で真田信之の妻と...

続きを読む

速報! 奥州仕置2010

 というわけで(どういうわけ?)旅に出ています。  今回は東北地方の旅です。  もちろん、一番の目的はあそこ。    初日は盛岡に泊まりました。  写真は盛岡駅近くの開運橋。  ライトアップをしているという噂を聞いてやってきたのですが、ガセネタだったようです。   そのかわり、岩手銀行の建物がライトアップされていたので撮ってきました。    そして、盛岡のB級グルメといえばこれ…    そう、山頭火...

続きを読む

上州真田の里(1)

 三月に行った、群馬県沼田市のレポートです。  沼田市といっても、沼田城には行っていません。   どこかの駐車場に車をとめて、遠くの方に立派な冠木門が見えたので近づいてみたら、なんと小学校の門でした。     そして最初の目的地はここ。  妙光寺です。     本堂です。  ここにはなにがあるかというと…  いつも読んでくださっている方は予想できたかもしれませんが…     そう、...

続きを読む

まだ江戸城を歩く(7)

 虎ノ門に到着です。    上の石垣は、右手にあるビルを建築する時に、発見された石を積み直したもの。  石垣の向こうが城内。 手前が外濠でした。     先ほどの写真の道路を挟んで反対側には、虎ノ門の遺構が残っています。  歩道橋の上から撮ったものです。     この虎ノ門は、江戸城の南端にありました。  南端なのに“虎”とはどういうことか?     そして虎ノ門跡のすぐ近くには、...

続きを読む

まだ江戸城を歩く(6)

  忘れた頃にやってくる、江戸城シリーズです(笑)    赤坂見附から外堀通り沿いに歩くと、日枝神社が見えてきました。  面白い形の鳥居ですね。  山王鳥居というそうですよ。  この赤坂にある日枝神社は、太田道灌が江戸城を築城するにあたって、川越の日枝神社から勧請し建てたものだという事です。   ルーツが川越にあるなんて、なんだか嬉しいぞ。  ちなみに川越の日枝神社は、近江坂本からのものだそうです。...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(最終回) ~越後府とイタリアン~

 水原代官所を見た(外観だけですが)後は、越後府跡です。 ここにはこのあたりの豪農の別邸があったそうですが、戊辰戦争の時に会津藩の本営になったそうで、新政府軍の攻撃対象となり戦火で焼失してしまったそうです。 その後明治になり、このあたりは越後府(後に水原県)となり、府庁舎が建てられました。 その府庁舎が建てられたのがここです。 一年後には新潟県に吸収されたので、たった一年の“県庁所在地”でしたようですね...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(13) ~水原代官所~

  次は瓢湖のすぐ近くにある、水原(すいばら)代官所です。   このあたりは江戸幕府の直轄地だったので、代官所が設けられました。  水原代官所は、戦国時代に水原城があった場所に建てられました。  いまある建物は復元建築物です。    戦国時代には水原氏が治めていた水原城ですが、新発田重家の乱の時に新発田側に奪われ、時の当主・満家も討ち死にして、水原の家は途絶えてしまいました。   水原...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(12) ~瓢湖~

 続いては、笹岡城と同じ阿賀野市にある瓢湖です。 ここは江戸時代の初めに用水池として誕生しました。 池の形が瓢箪に似ていることから、瓢湖と呼ばれるようになったそうです。 そしていつしか渡り鳥が飛来するようになり、日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功しました。 最近では餌付けをやめてしまう自治体もあるようですが、ここは続けているようです。   そして2008年には、湿地の生態系を守る為に出来た“ラ...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(11) ~笹岡城~

 新発田市の五十公野を離れ、阿賀野市の笹岡城に行きました。   この城は14世紀半ばに立てられたといいますが、正確な時期はわかっていないそうです。  謙信の時代には、村上義清の息子の山浦国清が入ります。  御館の乱後は今井源右衛門が城主となります。  この今井の父親というのが下平某という人物で、実は長尾政景殺しの真犯人ではないか? という説があるそうです。  ということは、上杉景勝にとっては父親の...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(10) ~五十公野茶屋~

  五十公野城の麓には五十公野茶屋があります。 “いじみのちゃや”と読みます。 イジリー岡○じゃないですよ。 初代新発田藩主の溝口秀勝が入封してきてから新発田城が完成するまでの間、ここに一時的に陣屋が置かれていたそうです。 その跡に、三代藩主が庭園を造りました。  清水園は入園料を取られましたが、ここは無料です。  清水園に比べればこじんまりとしていますが、なかなかいい庭でした。 ...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(9) ~五十公野城~

 清水園の次は五十公野城です。  “いじみのじょう”と読みます。 イジリー○田じゃないですよ。   新発田市の東部に新発田市立東中学校があり、その裏山が城址です。  中学校の敷地も城域だったようですが、遺構などはみあたりません。    【大きくなります】  五十公城は新発田氏と同じく、佐々木氏を祖とする五十公野氏が建てたといいますが、その時期は不明です。  この城が有名になるのは、やはり新発田重...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(8) ~清水園~

 オッチャホイで腹を満たした私が次に向かったのは『清水園』です。 清水園とは、新発田藩三代藩主の溝口重勝が、下屋敷のあったこの場所に作らせた庭園のことです。  入園料¥700です…  この庭園をデザインしたのは、幕府の茶道方の縣(あがた)宗知という人で、近江八景を取り入れた京風回遊式庭園なんだそうです。  近江八景といえば、瀬田の唐橋くらいしか知りませんが、この庭園の中に八景が隠れている...

続きを読む

雪解けを待って、新発田征伐(7) ~デゴイチとオッチャホイ~

 諏訪神社の近くには、デゴイチが保存されていました。   このD51 512は、主に新潟県内で活躍し、200万キロも走ったそうですよ。    さて、私はこの後ある店で昼ご飯を食べたのですが…   その店がここ、新発田市中心部にある、シンガポール食堂です。  シンガポール食堂といっても、“あるメニュー”を除けば普通の街の中華料理屋さんです。  ラーメンや、餃子なんてメニューが並んでいました。  そしてその“ある...

続きを読む

カレンダー

04 | 2010/05 | 06
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

四十路

Author:四十路
戦国時代と城址巡りとラーメンが好きなアラフィフです。

Instagram

Instagram

FC2 ランキング

にほんブログ村ランキング

にほんブログ村 旅行ブログ 国内一人旅へ
にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
 

ブログ村ランキング参加中!

上のバナーか記事中のバナーをポチッとしてくれたら泣いて喜びます。

カテゴリー

月別アーカイブ