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美濃・尾張・三河遠征記 (28) ~伊賀八幡宮~

 続いては伊賀八幡宮です。 伊賀といっても三重県にあるのではなく、愛知県岡崎市にある徳川家の守護神です。 上の写真の立派な随身門を含め、境内の建物のほとんどが重要文化財だそうですよ。 賽銭箱から拝殿までが遠いのは、珍しいですよね。 おかげでこれも重要文化財の本殿も見ることが出来ませんでした。[三河国] ブログ村キーワード...

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美濃・尾張・三河遠征記 (27) ~大林寺~

 岡崎城の後は、すぐ近くにある大林寺です。 もちろん有名人の墓がりますよ。  “せごどん” こと、西郷頼嗣の墓です。 西郷隆盛とは何の関係もないですが、岡崎城を築いた人です。 先程の頼嗣の子供とされる西郷信貞の墓です。 この大林寺の開基だそうです。 墓所の奥の方には、コンクリートブロックで囲まれた一帯がありますが、こここには松平清康・広忠・波留姫の墓があります。 中に入れないのでこんな写真になってし...

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雪解けを待って中通り(6) ~粟ノ巣古戦場~

 続いては粟ノ須古戦場です。 加藤明利の墓がある顕法寺からは、南へ5キロほどの場所にあります。 とても分かりにくい場所にあるので、座標(37.572412, 140.459686)だけ載せておきますね。 粟の須の戦いとは、伊達政宗が畠山義継に拉致られた父・輝宗を、義継諸共に射殺してしまったというあの戦いです。  この戦いは河川敷で行われたというイメージがあったのですが、周囲は田植え前の田んぼでした。 独眼竜政宗の影響...

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雪解けを待って中通り(5) ~顕法寺~

 続いては顕法寺です。 二本松城からは、東へ二キロほどの場所にあります。 まあ、ここには有名人の墓があるのですよ。 加藤明利とは誰かというと、あの賤ヶ岳七本槍で有名な加藤嘉明の三男です。 父・嘉明の会津移封に従って三春藩主になった後、父の死後二本松藩主になったのですが、明利の死後、その死に疑いがあるとして所領は没収され、加藤家は断絶となってしまいました。 後に旗本として復帰したのですが、これはまさ...

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美濃・尾張・三河遠征記 (26) ~岡崎城~

 美濃・尾張・三河遠征も最終日、残念ながら雨でしたが、まずは岡崎城に向かいました。 いつもは土日は避けるのですが、今回は仕事の都合上、最終日は土曜日になってしまいました。 おかげで岡崎公園ではイベントをやっていて、駐車場を探すのに苦労しましたよ。 でも、イベントをやっているスペース以外では観光客の姿はほとんどなく、じっくりと城跡を見学することが出来ましたよ。 上の写真は平八郎殿です。 こちらは東照...

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美濃・尾張・三河遠征記 (25) ~刈谷城と夕食~

 沓掛城の後は、愛知県刈谷市にある仮谷城を攻略しました。 場所は仮谷駅の東3キロほどの場所にある『亀城公園』です。 今は本丸を中心とした公園になっていて、遺構らしい遺構は何も残されていません。 上の写真は本丸の三重櫓跡に建てられた十朋亭という集会所。 この池は濠跡なのかなぁ…? とはいっても現在発掘調査を行なっていて、石垣のや門の復元の予定もあるようです。 水野勝成が出た水野氏の城として有名ですよ...

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雪解けを待って中通り(4) ~称念寺~

 二本松城を攻略した後は、二本松駅の観光案内所で100名城のスタンプを押したら、称念寺に行きました。 この寺は12世紀の建立ですが、伊達氏による二本松城攻略時に一度移転しましたが、丹羽氏が二本松城主になるとこの場所に戻ってきたそうです。 この寺は畠山氏の菩提寺だったことから、伊達政宗もこの寺は潰そうと思っていたのかもしれませんね。 というわけで、この称念寺には畠山氏の墓所があります。 桜が満開の良い時...

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