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北陸征伐戦 ~雲無心の阿尾~

 秀吉と家康が敵対していた頃の話です。
 金沢城主の前田利家は秀吉側に、富山城主の佐々成政は家康側についていました。

 この阿尾城は当時成政側でしたが、利家はこの城を調略で奪いとります。
 この城があれば越中攻撃への最前線となり、前田家の有利となるからです。
 利家はこの城の城代を前田慶次郎としました。

 危機を感じた成政もこの城を奪い返しにきますが、前田慶次郎以下の武将の活躍で奪い返すことが出来ません。
 この前田家との戦いに苦戦している間に、秀吉と家康は和睦してしまい(この間に成政は冬のアルプスを越えて浜松へ行った)前田家と戦う理由が無くなってしまいました。

 結局成政は秀吉の軍門に下り、後に与えられた肥後での失政を咎められて切腹をしたのです。


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【阿尾城遠景】
 高岡から富山湾沿いの道を北上し、氷見市街を抜けると阿尾城が見えてきます。

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【本丸から見た氷見市街】
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【本丸に立つ物見台】

 この城は能登半島の付け根に位置し、戦略的に重要な城でした。
 陸路では西に末森・北に七尾・南に富山。海路でも魚津や富山、遠くは春日山にも出ることが出来ます。 富山湾を往来する船を監視する役目もあったことでしょう。

20080604002641
この日は、トンビが私を監視していました。 


 結局このような戦略的な城は平和な時代が来ると廃止されてしまうのです。  阿尾城も関ケ原の二年前に廃城となってしまいました。
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コメント

前田慶次郎ゆかりの地

こんばんは☆
前田慶次郎の名前が出てきて嬉しいです。(正式な名前は前田利益?前田慶次郎利益?)
佐々成政は冬の北アルプス(立山連峰越え)をしてまで浜松へ行ったのに
無駄骨だったんですよね。悲運の道を行っていますね。

そういえば

利益・利太・利大など、いろいろありますよね。

そういえば、来年の大河の主なキャストが決まりましたね。慶次郎は誰がやるのでしょう?

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