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高遠遠征記(7) ~五郎山~

1駐車場 (1200x800)

 続いては仁科五郎盛信の墓がある五郎山に登ります。








2入口 (1200x800)

 前回(10年ほど前?)は車で山頂近くまで登ったので、今回は老体に鞭打って麓から登りましたよ。








3登山口 (1200x800)

 駐車場は無いので、一番最初の写真のほりでいぱーくの駐車場をお借りしましょう。

 五分ほど歩けば、上の写真の登山道入り口に行けます。(登山口の座標 35.823592, 138.061410)








4一郎 (1200x800)

 1582年、織田信長は仁科五郎盛信(武田信玄五男)が籠る高遠城を攻めたのですが、盛信やほかの諸将の奮戦むなしく落城してしまいます。

 盛信は自害し、盛信やほかの諸将の遺骸は村人によって火葬され、この山に葬られたといいます。

 

 まずは麓から5分ほど登ったところにある一郎山。

 これは諸士の墓だそう。

 諸士って、その他大勢ということだろうか?








5二郎 (1200x800)

 さらに5分ほど登って二郎山。
 
 これは“諏訪はな”さんの墓。

 はなさんは諏訪頼清の妻で、旦那が殺された後長刀をもって敵中に切り込んだ人。

 信長公記にも記載があるそうな。







6三郎 (1200x800)

 さらに五分ほど登って三郎山。

 こちらは渡辺金太夫です。

 金太夫は元々は徳川家の麾下の武将(高天神衆)で、姉川の戦いでも徳川方で活躍しました。

 しかし、高天神城が武田家に落とされると金太夫も武田家に降りました。

 それからは武田家一筋で、高遠城の戦いでも武田方で戦って討死したそうです。






7四郎 (1200x800)

 さらに五分登ると四郎山。

 武田四郎が祀られているわけではなく、こちらは『良いほうの小山田』こと、小山田備中守です。






 
8五郎 (1200x800)

 そして最後は仁科五郎盛信の墓、五郎山です。

 武田信玄の五男で勝頼の弟です。

 武田家滅亡直前には、武田一族は逃亡したり寝返ったりしたのですが、この人はこの高遠に留まり壮絶な戦死を遂げたのですよね~

 





9ごろう (1200x800)

 この石像は昭和63年の大河ドラマに合わせて設置されたそうですが、石像にするとなんかコミカルな像になってしまうのはなぜなんだろう?

 坂本城の明智光秀や、福井城の結城秀康などそうですよね?

 






10景色 (1200x800)

 今回私は歩いて登りましたが、車で山頂まで来ることができます。








11車道 (1200x800)

 その場合は、座標(35.824689, 138.055377)のあたりに5~6台ほど停められる駐車場があり、その前にこの看板が出ています。

 五郎山まではここから300mほどです。

 歩く距離をもっと少なくしたい方は、ここから車道を300mほど登ると路肩が少し広くなった場所があるので、そこからも登ることができます。

 でもそこまで行くと、Uターンが難しくなるので、手前の駐車場に停めたほうが無難だと思いますよ。

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