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秋なのに、春の夜の夢を見に天目山へ(6)

 国道20号線と別れ、天目山へと向かう道を進むと、四郎作古戦場があります。

 

四郎作古戦場

 

この古戦場は 

 小宮山内膳友晴(友信)は、武田の重臣小宮山丹後守昌友の長男として武田氏に仕え、武田軍政に重きをなしていた。
 長篠合戦以後武田軍の中枢は重臣たちによって司られていたが、小宮山内膳はその折々軍のため率直に意見を述べた。重臣たちはこれを快しとせず理非をわきまえずにこれを否定し遂に讒言により主君の勘気を被り蟄居を命ぜられ幽閉の身となった。
 しかし、天正10年3月11日に武田勝頼は多くの重臣たちに離反され、一族とともにこの付近において最後の決戦をする運命に陥ったのである。
 小宮山内膳は主君の危急を知り、決戦の前夜一行に追い付き「友晴が譜代の臣でありながら、武田家の最後の戦いに臨めなかったなら、小宮山家末代までの恥辱であり武士道にも背くゆえ、蟄居の許しを請い最後の戦いに御盾となり高思の万分の一にも報いたい」と言上した。
 勝頼は「あっぱれな武士の鑑よな余の不徳の致す処であった」と直ちにこれを許した。
 小宮山内膳は勇躍戦いの最前線であるこの地に陣を敷き、寄せ来る敵と奮戦数刻の末従容として主君に殉じたのである。
(石碑裏の文章より抜粋)

 

 ズルをしてしまいましたが、要するに小宮山内膳はエライッ!! っちゅうことですね。

 

 

日川渓谷 (2)

 

 武田勝頼一行は、日川渓谷沿いを天目山目指して進みます。 写真は、現在の日川渓谷。 今頃は紅葉がキレイだそうですよ。
 勝頼が通ったころは3月なので、残雪があったかもしれませんね。

 

 

日川渓谷

 

 たぶん、こんな道無き道を進んだのでしょう。 たぶん。



つづく…
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