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熊谷うどんの聖地

安楽寺  

 先日は、埼玉県熊谷市に行ってきました。

 まずは安楽寺。











別府氏の墓 

 安楽寺には、別府頼重の墓があります。

 別府氏は忍城主で有名な成田氏の流れを汲み、成田氏初代・助高の次男が初代とされます。

 ちなみに頼重は、南北朝時代の武将だそう。










東別府神社 

 別府氏の墓がある安楽寺の近くには、別府氏が本拠とした別府城があります。












 
東別府神社 (2) 

 いまは別府神社になっていますが…











 
東別府館跡 

 ちゃんと…










 
東別府神社の土塁 

 土塁も残っていますよ。

 秀吉の小田原攻め時に落城して以来、城としては使われていないそうです。











 
香林寺 

 次もまた別府氏の菩提寺です。

 香林寺です。











 
香林寺 (2) 

 ここも別府氏の館があったとされていますが、遺構のようなものは発見できませんでしたよ。










  
香林寺の梅 

 三月中旬のことでしたので、梅が咲いていました。











 
別府氏の墓@香林寺 

 もちろん別府氏の墓があります。

 こちらは別府義重・清重親子の墓。

 平安末期から、鎌倉時代の人らしいです。



 でもここには、別府氏だけでなく、こんな人の墓もあります。











  
p268.jpg 

 権田愛三の墓です。(写真を撮り忘れたので、熊谷市のホームページから拝借しました)

  熊谷市のホームページによると…

 当時の麦作りは、生産が安定していなかったため、人々は食料不足で困っていました。そのような状況を憂いた愛三は、麦の増産を決意し麦作りの改良に取り組み始めました。様々な研究を重ねながら、愛三は良質な麦の生産にむけて根張りを良くするために早春に麦の芽を踏む技術の「麦踏み」を取り入れ、大きな効果を発揮しました。また、増産にむけては、熊谷の雪の少ない気候を利用して米の収穫が終わった冬の間に麦の生産をする「二毛作」を行いました。こうした技術改良の結果、明治29年には当時の収穫量の4倍~5倍をあげることに成功し、その成果を地域の農家に伝授しました。そして、更なる研究の場として埼玉県立農事試験場が、現在の熊谷市玉井地区にできたのも愛三の嘆願によるものです。また、明治41年には、これまで研究してきた麦作生産技術を当時の農商務省に上申しました。これらにより愛三の技術改良は全国に知れ渡り、各地から講演や技術指導の依頼がくるようになりました。全国各地に出向き、年間で350回以上、受講者1万8千人余にのぼりました。
 このような愛三の貢献に、国は緑綬褒章、大礼記念章を授与しました。こうした実績を称え「麦王(麦翁)」と呼ばれた愛三のふるさと熊谷には、その思いをくんだ良質で全国有数の収推量を誇る麦作りとうどんの食文化が今も伝えられています。


 要するに、熊谷市別府は『熊谷うどんの聖地』っちゅうことやね!











福福@熊谷

 というわけで、この日は熊谷市にある福福さんで、うどんをいただきました。











 
福福のきのこ汁うどん

 こんなおいしいうどんがいただけるのも、愛三さんの努力のおかげなんですね。


 ごちそうさまでした! 












 
にゃんこ
舌をしまい忘れてますよ。 








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