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奥州仕置2012 (20) ~雲龍院~

雲龍院 

 続いては、雲龍院です。

 ここは大崎八幡から自転車で20分くらいでしたが、住宅街の真ん中にあってとてもわかりづらく、見つけるのに苦労しましたよ。









雲龍院本堂 

 もちろん、有名人の墓参りが目当てです。









 
林子平の墓 

 こちらは、林子平(はやししへい)の墓です。

 子平は幕末の学者(?)で、寛政の三奇人と呼ばれた人で,、早くから海防の必要性を感じ“海国兵談”という軍学書を発表しましたが、まだペリーなどが来る前だったために世を惑わすものとされて、幕府から発禁処分になったそうです。









  
林子平の日時計 

 また、出島に遊学に行ったときに、日時計を模写して塩竃神社に奉納したそうです。

 上の写真だと、子平が考案したようなことが書いてありますが、そうじゃないと思うんですけどねぇ…









 
万城目正の墓 

 こちらは万城目正(まんじょうめ ただし)の墓です。

 美空ひばりや島倉千代子の曲を作曲した人だそうですよ。









  
細谷某の墓 

 そしてこちらは仙台藩士・細谷十太夫の墓です。

 戊辰戦争が始まり、いわゆる官軍が奥羽に攻めてくると、十太夫は衝撃隊を結成し、ゲリラ戦法で官軍を30回ほど撃退しました。

  後に許され、西南戦争に参加した後、この雲龍院の住職になったそうです。

 大河ドラマには出てきそうにない話です…




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コメント

No title

林子平の名前は初めて聞きましたが「海国兵談」は存じていました。
島国日本の海防の必要を説いた書は、見事に的中していたと思います。

結局ペリー来航後、各所に砲台を築くことになりましたし、その根本の考え方は第二次大戦終結まで変わらなかったと思います。

後の2人は全く知りませんでしたが、それにしてもバラエティーな方々の眠る寺院ですね 凸!

Tomさんこんばんは

ひょっとしたら幕府の海防の必要性を感じていたのかもしれません
だからこそ海国兵談が発禁になったのかな、なんて思ったりも…
『臭いものには蓋をしろ』的な考えですね。

子平以外の二人は、私も行ってから知りました(笑)

凸ありがとうございます

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