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羽後遠征記(7) ~大鳥井柵と金沢城~

大鳥井の神社  

 横手城址である横手公園からすぐ北にある、大鳥公園にやってきました。









大鳥井柵堀切 

 大鳥公園は、その昔、大鳥井柵でありました。

 柵とは、7世紀から11世紀までの古代日本において大和朝廷(ヤマト政権、中央政権)が築いた軍事的防御施設である。

 と、ウィキぺディアに書いてありました(笑) 要するに、城のことですね。

 城柵ともいうそうです。









 
大鳥井土塁? 

 大鳥井柵は、平安時代に清原氏によって築かれ、後に奥州藤原氏の居城になったようです。

 今は公園化されてしまっていて、上の写真のような堀切や土塁は見られるものの、遺構かどうかはわかりません。
 









大鳥井柵から横手 

 駐車場からは、横手城の模擬天守が見えました。 

  近いですね!








 
金沢城入り口 

 そして、大鳥井柵から車で20分ほど、今度は金沢城にやってきました。

 “かなざわ”ではなく、“かねざわ”と読むそうですよ。







  
景正功名塚 

 金沢城への登山道の入口には、景正功名塚があります。

 後三年合戦で素晴らしい手柄を立てた鎌倉権五郎景正が、将軍源義家の命により敵の屍をこの地に葬り、弔いのため塚の上に杉を植えました。

 それが景正功名塚です。

 杉は枯れてしまいましたが、根元が保存されいます。

 かなり太かったですよ。









 
金沢八幡宮 

 さて、先ほど登山道と書きましたが、金沢城の主郭近くまでは車で登る事ができます。

 駐車場も完備されていますよ。









 
金沢城切 

 本丸には八幡宮が鎮座していますが、その後ろは崖というか堀切になっています。









 
金沢城本丸 

 他にも土塁とか良好に残ってはいましたが、夕方6時頃で暗かったたこともあり、写真にすると良くわからないので割愛させていただきます。

  








金沢城より 

 金沢城は15世紀に南部氏の家臣・金沢某が築いたとされます。

 実は平安時代の清原氏による金沢柵ではないかという説もあるようですが、少なくとも今残っている遺構は平安時代のものではなさそうですね。

 柵があった場所を戦国時代に改修した可能性もあるようですが、発掘しても平安時代のものは出てこないそうです。

 そして関ヶ原後に佐竹氏が移ってきた後、金沢城は破却されました。

 








   
金沢城縄張り
【クリックで拡大】



 この後、秋田市内へと向かいました。




  

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