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西甲州攻め(8) ~新府城~

1新府城入り口 (900x1200) 

 穴山氏の墓参りを済ませたら、約20年ぶりの新府城へ登城です。









2藤武稲荷神社 (1200x900) 

 先程の長い階段を登れば、藤徳稲荷に到着です。

 先程の階段は、もちろん遺構ではないですが、この稲荷は当時からあったもの(もちろん建て替えてるでしょうが)かもしれません。

 縄張り図に“稲荷曲輪”なるものが見えますからね。









  
3新府城本丸 (1200x900) 

 お稲荷さんのすぐ裏は本丸です。









 
4勝頼公霊社 (1200x900) 

 おっと、本丸の端っこには、こんなのがありました。

 20年前にはこんなの無かったですよ。

 しかも周りには、勝頼を囲むように“長篠合戦戦死者慰霊碑”なるものも出来ていました。









 
5偽虎口 (1200x900) 

 慰霊碑の反対側から、二の丸に行くことができます。

 上の写真は、それっぽい道と土塁ですが、最近になって作られた車道だそうです。









 
6二の丸 (1200x900) 

 見事な土塁に囲まれた二の丸です。









 
7新府城縄張り (1200x900) 

 新府城は、名門・甲斐武田氏最後の居城です。

 武田勝頼は、1581年に真田昌幸に命じて新府城築城を開始させますが、1582年の年明け早々(異説あり)の未完成のまま入城します。
 
 しかし、その年の2月に木曽義昌の謀反から、織田・徳川の連合軍が信濃・甲斐の押し寄せたため、未完のままでは防ぎきれないと判断した勝頼が自らこの城に放火して、東の小山田信茂の元に落ち延びようとしました。

 その後の勝頼は小山田信茂にも裏切られて、天目山にて自刃をするのですが、この新府城は織田信長に接収されます。

 本能寺の変ごの天正壬午の乱では、徳川軍が陣を張って、若神子城の北条軍と対峙しました。

 天下が治まると、廃城になったようです。



 ご存じ、甲斐武田氏最後の居城ですが、二度目の訪問ということで、感動はちょっぴり小さかったです(笑)
 
 20年前よりは整備が進んでいるようですが、晩夏ということもありますが、まだまだ“藪”が多いですね。








    
8東出構え (1200x900)

 20年前は藪だった“東西出構え”が、ご覧のように草も刈られて見やすくなっていました。

 その調子だぞ、韮崎市
  



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